蚊居田氏の沢城趾〔2213〕2009/05/07
2009年5月7日(木)晴れ!
いよいよ連休も終わり。皆さんジャンジャンバリバリお仕事されよりますか?
ひまわり太郎の会社の皆さんも、それぞれ、マテ貝採りに行ったり野球をしたりと、楽しみよったみたいです。
ここは南国工場のある南国市。大そねの交差点を南へ行くと、道路がクネクネと曲がり、三和の小学校の横を通ります。ここはその南の里改田(さとかいだ)。このまま南へ行けば浜改田(はまかいだ)。つまりこの界隈は「改田」ということで、中世から戦国にかけて、蚊居田(かいだ)氏が活躍した土地ということらしいです。
で、そこは現在ではこのように田んぼが広がる農村地帯ながですが、その真ん中にご覧の通りこんもりとした森があります。何やらいわくありげでしょ?
どうやらこの中に城八幡が鎮座されちょって、そこが蚊居田城跡らしいのであります。別名、沢城とも呼ばれたお城は、長宗我部地検帳によりますれば1町余りの正方形の城郭やったそうで、つまり100m四方ということですきにかなり大きなお城。お城と言うより大きな居館という感じやったでしょうか、蚊居田氏の勢威の強さを伝えちょります。
「土佐遺語」という本に「森・国沢・千屋・蚊居田此の四家、勢い守護に次ぎ、各々二千貫主也」と書いちゃありますきに、長宗我部氏など、戦国七雄と謳われた守護大名に次ぐ勢力を誇った家柄やったらしいがです。この四家、今の筆山の潮江城の森氏、今のひまわり本社東側の国沢城の国沢氏、こっからもうちょっと西の千屋氏と、ここ沢城の蚊居田氏ですね。いずれも、最終的には長宗我部氏に下って、有力家臣になっちょります。
初夏の水田の中に浮かぶ森は、そんな歴史を伝える大切な史跡やったりします。