佐川駅と西佐川駅と品川駅と北品川駅〔2158〕2009/03/13
2009年3月13日(金)雨!
今日は雨。時折、結構しっかりと降る雨。そんな雨の中、汽車に乗っちょります。高知から中村へ行く汽車の中で、今、このにっこりを書きよります。
写真は、佐川の駅に停車中の汽車の中から撮影したもの。佐川と書かれたJR四国の看板が写っちょります。それをみて下さい。こっから右へ行くと「にしさかわ」で、左へ行くと「えりのの」ですね。漢字で書くと西佐川と襟野々。
高知から来た汽車は、襟野々向いて走って行きます。佐川駅のひっとつ手前が西佐川。高知は佐川の南東にありますきに、高知から乗って佐川の手前が西佐川とは、妙ちきりんですね。
これは、JRの線路が佐川の町の北東にまわりこみ、そっから町へ入ってくるきですね。汽車はここ佐川から南へ進路をとり、太平洋側の須崎に出ます。
普通に考えると、高知から幡多方面に汽車をつなげるとしたら、わざわざ一旦山の中の佐川まで行って、わざわざ山越えをして須崎で出る、ということはしません。高知から高岡、そして須崎へ抜ければ、メッソ苦労はせんと思うがです。が、鉄道を最初に敷設した頃、佐川出身の明治政府の実力者が居りました。田中光顕伯爵です。威信の頃は龍馬たちのパシリ的な存在やったがですが、明治政府ではかなりエライテになりまして、宮内庁長官とかもつとめちょります。で田中伯の一声で、ここ佐川まわりの国鉄の線路が出来上がった、とも言われちょります。ウソかホントか知らんですが。そんな無理した路線ですきに、佐川の一つ高知寄りの駅が西佐川になったりするがでしょうか。
そう言えば、東京の京浜急行で、品川から南に北品川という駅がありますね。あれは、北品川駅が北品川という地名の場所にあるき、そうなっちゅうがで、品川駅が本来の住所の品川からだいぶ北に寄った所につくられたき、紛らわしいがですね。ここの場合は西佐川はちゃんと佐川の西にありますきに、ちっくと事情が違います。ここでは、高知方面へ国道33号線を走る車と、高知方面へ向かう汽車が擦れ違う、という珍な現象が見れます。国道は、高知から普通に松山向いて佐川の町を通り抜けちゅうきです。
おおのややこしい。