土佐橋から旧堀川の空き地を眺める〔1617〕2007/09/19
2007年9月19日(水)晴れちょりますね
ここは土佐橋。はりまや橋交差点からちっとだけ東へ行った、電車通りが蛇行しちゅう所。蛇行しちゅう部分が橋になっちょって、その橋が「土佐橋」でした。昭和40年代、その橋の下を流れよった堀川は埋め立てられ、橋の欄干だけが残っちょります。
ご覧のように、ここの南に河田小龍さんの生誕地があります。びっしりびっしりご紹介しちゅうのでご存じですよね、河田小龍さん。堀川は、ここから向こうに流れ、四つ橋(現かるぽーと前)で新堀川と交わっちょりました。現在は新堀川と、かるぽーとより東の堀川だけが残っちょります。
しかし、その新堀川も、昔策定された都市計画道路によって間もなくフタをされようとしよります。地元では大きな反対運動が沸き起こっちゅうがですけんど、こういった計画はなかなか止まらんがが不思議ですね。役人社会の構造的問題ながでしょうか。
この土佐橋の下が堀川やった時代、堀川はこの西ではりまや橋をくぐり、堀詰まで続いちょりました。確かに当時、新堀川につながる江の口川が、旭町の製紙工場の強烈な汚水でものすごい異臭を放ち、西日本一汚い川と言われよったので、新堀川や堀川もドブ川でした。ほんで「臭い物にフタ」ということで埋め立てられたがですね。が、今の新堀川やかるぽーとより東の堀川は、シオマネキやアカメなどの稀少生物の住むキレイな川になりました。川が街の中を流れる風景は素敵なもので、心を落ち着かせてくれます。
この土佐橋からかるぽーと前まで、堀川の名残の細長い空き地と植え込みがありました。どうするがかは知らんですけんど、今、その空き地をなにやら工事しよります。もったいないですな。このにっこりでもギッチリ書きよりますけんど、ひまわり太郎の情緒的街づくり計画では、ここは川に戻し、はりまや橋の下も川に戻し、大丸さんの前までつなげます。小舟を浮かべてかるぽーとと中心街を結ぶ交通手段とし、場合によっては中の島や五台山、種崎方面への小さな巡航船なんかを就航させてくれたら、お街で飲んだひまわり太郎は舟に乗って優雅に帰宅できるのであります。
これ、何の工事ながでしょうね。