五台山、伊達騒動、柴田外記、長宗我部元親さん〔1531〕2007/06/25
2007年6月25日(月)高知は晴れちょります
今朝の高知、晴れちょります。昨日は雨が降っちょりますので、蒸し暑い一日になりそうですね。梅雨前線もひとまず南海上へ下がっちょります。
ここは早朝の鏡川、潮江橋北詰から東向いて撮影してみました。梅雨時らしく、地面から立ちのぼる靄が雰囲気を醸し出しちょります。その青い橋は雑喉場橋、その向こうが水道橋、遠くに見えるアーチは鏡川大橋。その向こうの山が五台山。
何度かご紹介しましたが、五台山には、江戸時代前半の有名なお家騒動「伊達騒動」の片方の主役、伊達兵部さんの墓所があります。事件後、罰として土佐山内家に預けられ、ここで最期を迎えました。
伊達騒動のもう片方の主役「伊達安芸宗重」さんを支持し、伊達騒動のクライマックス酒井雅楽頭忠清前での吟味の際に原田甲斐に斬り殺された、柴田外記朝意さんという人物をご存知でしょうか。「樅の木は残った」をじっくり読んだ方はご存知やと思います。その柴田外記さん、実は長宗我部の血を濃くひく人物やったのであります。大阪夏の陣で、元親の後継者盛親さんは自刃、その姉佐竹夫人は、子供を連れて逃げますが伊達政宗の兵に捕まります。その後、紆余曲折を経てその時の子供が伊達家老臣柴田宗朝さんの継嗣となりました。名前を柴田外記朝意と改めます。で、伊達家三代に仕え、三代目綱宗さんの時に伊達騒動が勃発した、という
訳です。
長宗我部元親さんの血を引く柴田外記さん。その敵方の伊達兵部さんは土佐へ送られてあの五台山に眠りゆう、という、なんとも言えない巡りあわせがあるがですね。