梅雨入りした高知県地方、鏡川、九反田橋〔1520〕2007/06/14
2007年6月14日(木)降ったりやんだり
昨日、名古屋からJRで高松まで戻り、仕事を済ませて高速バスで高知までモンて来ました。なかなか乗るばあのことはあります。
高知県地方、昨日やっとこさ梅雨入りしたですね。今日は朝から静かな雨が降ったりやんだり。これからしばらくは雨の季節になるがでしょうか。ダムの貯水率も減って、渇水の心配が始まっちょりましたので、恵みの雨といったところでしょうかね。
さて、ここは今朝の鏡川、九反田橋北詰の堤防の下をちっくと東へ下ったところから九反田橋を撮影してみました。その向こうのアーチが水道橋で、その向こう、九反田橋のすぐ下にちょびっとだけ見える青い橋が雑喉場橋。
この右手の土手を越えたところが九反田。その昔、鏡川と堀川、堀川から雑喉場橋の方につながる横堀に囲まれた狭い地区で、九反の田んぼしかなかった九反田。その後、藩政期から明治大正にかけて、高知の表玄関の入り口となった九反田。浦戸湾にやってきた船の荷物は、湾内で小舟に乗り換えて九反田界隈に水揚げされよりました。魚も、九反田界隈に水揚げされよりました。昭和40年代までは、この九反田に中央卸売市場もあって賑やかでした。その向こう、九反田橋と雑喉場橋の間の北岸は段々になっちょって文字通り雑喉場と呼ばれ、こちらの鏡川側からも魚やら色々なものが荷揚げされよったそうです。雑喉場には舟渡しがありました。どこへ渡しよったがでしょう。明治26年の、河田小龍さんの描いた市街地図では、鏡川南岸の舟渡しは土居町上ノ町辺りにあります。今の潮江橋南詰の少し東でしょうか。そこと雑喉場を渡し船が行き来しよったがかも知れません。