福岡、大濠公園の朝〔1484〕2007/05/09
2007年5月9日(水)晴れちょりますばい
今朝は福岡。博多駅前に泊まっちょりまして、今朝は早朝から大濠公園まで走りに行っちょりました。けやき通りという涼しい通りを西進して福岡城址の南を走り、大濠公園を一周、同じコースを帰ってきました。10kmちょっとでしょうか。7時過ぎにはホテルへ帰りたかったんで、6時前から走りに出ちょりました。
しかしあれですね、この大濠公園、朝っぱらからものすごいヒトです。歩いたり走ったり体操したり。出張で福岡へ来たときには、時々走りに来るがですけんど、以前よりもヒトが増えたような気がします。
にっこりで大濠公園の景色をご紹介しちゅうのは2005年5月31日と2005年10月21日。前者は池の西南から、後者は池の北側から撮影しちょりますので、今日は池の東を撮影してみました。池の沿うて、ご覧の様に水路がしつらえられちょります。ひまわり太郎の歩きゆう所は普通に散歩する所。で、水路を挟んで広うなった道路の、内側が左回り、外側が右回り、てな暗黙の了解があるみたいです。殆どの皆さんが左回りで歩いたり走ったりしよりますきに、それはそれは壮観でございました。この大きな池の東には福岡城址があります。慶長12年に、黒田長政さんが築城した平山城、福岡城。かの秀吉の参謀、黒田官兵衛(如水)さんの嫡男ですな。秀吉が最も恐れた男、と言われる黒田如水さん、竹中半兵衛さんと対比されますが、すごい人物やったのは間違いないですな。如水さんの曾祖父にあたる人物が諸国を流れて備前の国の邑久郡福岡という場所にたどりつき、住み着いて目薬を売る商売をしよったそうです。それが黒田家が発展するきっかけになったみたいです。で、黒田長政さんがここに築城する際、「福崎」という地名やったのを黒田家先祖ゆかりの「福岡」に改めたとか。それが現在の福岡県につながる訳ですきに、不思議ですよね。
ここから博多駅へ帰る道のりには、西鉄福岡駅、中洲、祇園と、誰でも知っちゅう繁華街があります。中洲では、屋台の後片付けをしよりました。屋台をしまい、汚れた道路を水と洗剤で洗い流す作業。毎日毎日屋台を持って来て設営して営業して片付けて道路を洗い流して、ということが行われゆうがですな。