中の島から筆山と月を眺める〔1420〕2007/03/06
2007年3月6日(火)晴れ!
高知では、もうトウに梅は終わり、寒緋桜もほとんど終わり、ハクモクレンも満開を過ぎて終わりかけ、あとは桜を待つばかりなり、という感じ。まだ、河津桜はあちこちで見かけることができます。長いですね、河津桜。本社の北の松渕川公園の河津桜も、まだ咲いちょります。
桜(ソメイヨシノ)の開花予想、そんな訳で早うなりそうです。気象庁の発表は明日ですが、今の所東京では20日前後の予想。昨年の高知は全国一早うて3月15日。今年はどうなるでしょうね。
さて、ここは今朝の鏡川。中の島から満月を眺めました。右端の橋は九反田橋、山は筆山。この方角から見る筆山は、きれいに筆の先っぽを半分に割った形ですね。明治26年、かの、坂本龍馬に国際情勢を教えた偉大なる文化人で画家、河田小龍さんが描いた「新撰高知市街地図」には、筆山の部分には「筆鉾山」と書いちゃあります。で、その向こうに続く尾根筋や高見山と合わせて「潮江山」となっちょりますね。九反田橋はもちろん無く、雑喉場の辺りに「舟ワタシ」があります。
明治40年の、政府発行の2万分の一正式地図を見ますと、筆山のところには「眞如寺山(筆山)」と書いちゃあります。昭和8年の1:25,000の地図にも、同じように書いちゃありますが、九反田には橋が架かっちょります。この時分のこの対岸、新田(しんた)は、文字通り田んぼしかありません。一軒の家もありません。九反田橋南詰のちょびっと東にお宮さんのマークがあります。水神社さんでしょうね。そのお宮さんから西には、ちょびっと家が建ち、そこから潮江に向けて、市街地みたいになっちょります。水神社から東は田んぼだけ。現在は、ご覧の様に住宅やマンションがギッシリと並んじょりまして、筆山を隠す勢い。
ここ、中の島は「棒ヅツミ」となっちょります。ここから眺めたお月様は、当時の棒ヅツミから見たものとひとっちゃあ変わっちゃあせんことでしょう。