山内会館、山内神社、山内神社宝物資料館〔8304〕2026/01/09
2026年1月9日(金)晴れ!
ひやいねー。善き哉善き哉、冬ですもの。
以前、鏡川沿いにあった「山内会館」のこと書いたこと、あります。2019年まで建物があった、山内会館。建設されたのがいつかはわからない、みたいなこと書いたけど、諸々の状況から、1970年(昭和45年)10月ではなかったかと推察されます。その理由は。
この、山内神社ホームページの「御由緒」によりますれば、昭和45年に社殿を再建、藤並神社と合併して、藩祖一豊公と同婦人、歴代藩主を合祀したとのこと。その御神体遷座式の写真が昭和45年10月のもの。
そして。1976年高知新聞社発行「高知県百科事典」で「山内神社宝物資料館」の項目を見ると、1970年(昭和45年)10月2日開館、とある。
つまり。あの、高知では初めてと言うて良いホテル形式の宴会場を備えた会館は、1970年、山内神社社殿再建、合祀と山内神社宝物資料館設立に併せて建てられたと考えるのが、自然。恐らくはそうなんでしょう。それまでお城の下の藤並神社に祀られていた初代一豊公から14代藩主豊惇公までと一豊公婦人を社殿再建に併せて合祀するという一大イベントが繰り広げられた訳で、その際に宝物資料館と会館を建てよう、となった状況は、容易に推察できます。
僕がRKC高知放送「高知県のくらし」という番組に出演して、高知県の酪農と牛乳について喋ったのは、1972年か1973年頃と思われるので、まだ完成して間もない山内会館だったということになります。それまで料亭か自宅で行われていた結婚披露宴を、テーブル円卓のホテル形式でやるようになったのは、山内会館がその嚆矢ではなかったかと思います。ご存知でしたか?
そんな山内会館跡もこんなになり、山内神社宝物資料館の膨大な資料も、高知県立高知城歴史博物館に収蔵され、指定管理者である土佐山内記念財団によって管理運営が為されています。あの、直指定問題で話題になった施設のひとつである城博ね。
話は変わるけど、F県の知事がセクハラで辞任し、第三者委員会の報告でなかなかすごい事実が判明してきてます。元自治官僚で、自治体に総務部長とかで出向し、そして選挙に出て首長になる、というパターン。近年、そういった首長の不祥事やら問題やらが頻出してるような気がします。個人の感想ですが。
よく聞くのが、自治体の首長になりたいという野心で総務省(自治省)に入り、地方の総務部長とかを歴任して知名度を上げ、首長になる、というルート。戦前のような官撰知事の時代でもないので、そろそろ、そういったの、変えた方がいいのではないか、などと思うのでした。総務省の役人を受け入れた方が地方自治がうまくまわる、などというのが前時代的だと思うのであります。個人の考えですが。でも、自治体職員は基本的に優秀なので、総務官僚がいなくてもキチンと自治は、まわります。そうでないとおかしいし。
ともあれ、冬の鏡川畔。風景は変わってゆくけど、いつまでの素敵な高知県であって欲しいねー。
