線路はつづくよ、そこまでは2〔8103〕2025/06/22

2025年6月22日(日)曇り
ようやく梅雨のような気候が戻ってきた、日曜日。久々に、新改駅。高知駅から土佐山田駅行きの汽車に乗り、土佐山田駅で阿波池田駅行き各駅停車に乗り換えて、一駅目。土佐山田駅から一駅、なのに日本でも有数の秘境駅として有名になりました。
おそらく、1日の平均乗降客は1人を切ってるんではないでしょうか。ただ、鉄分が濃い人たちには人気の駅。スイッチバックというのも珍しいし、駅周辺は何もない山の中。線路はつづくよ、そこまでは、だ。
今日の阿波池田行きには、鉄分が濃そうな少年3人組も乗っていて、特急通貨待ちで新改駅停車中に、一生懸命写真撮ってました。だけではなく、おじさんも2人降りてきて撮影開始。善き哉善き哉。
ただ、ここで下車したのは僕だけで、みんな、汽車に乗って行ってしまいました。おかげさまで静かな静かな新改駅を独り占め。聞こえるのはウグイスのホーホケキョだけ。山々は雲と霧に霞み、まるで異世界に迷い込んだよう。
こんな山中に駅ができたのは、土佐山田駅と繁藤駅(天坪駅)の駅間が13.7kmもあり、列車の行き違いなどの為の信号場が必要だったから。昭和10年、新改信号場としてスタートし、戦後の昭和22年に「駅」に昇格したのでした。
この新改に、昭和20年の今時分、6月末、本土決戦のために編成された帝国陸軍第55軍の司令部がおかれたのでした。このにっこりでは幾度か書いてきてますね。
第55軍は、約10万人もの兵力であり、四国の、特に太平洋側の米軍上陸に備えた軍隊。ウィキによると、その編成に瀬島龍三も関わってるみたいやねー。
その、四国防御全体を統括する司令部がこの山中に置かれたのは、ここに鉄道の信号場があったのも大きな理由のひとつでしょう。兵站は軍隊の命ですきんね。司令官の階級は中将。以前にも書いたけど、当然ながら新改には大勢の将校が駐屯した訳で、地元の子供達が高級軍人と普通に顔を合わせるようになり、階級インフレがおきてました。以前にも一度書いた、新改村元村長、三木豊秀さんの回想を、今一度。
「軍の偉いてがここに集まったかて?そりゃカーキ色ばかり、民家も公民館も学校も軍人さんでいっぱい、こどもらは養蚕室に分かれて学習というありさま。そのこどもらだって、「ああ青色か」ってこバカにするほど、将校もいましたね。」
「青色」は尉官。高知で一番偉い第44連隊の連隊長が佐官なので、尉官でも高知ではなかなか偉い訳やけど、子供に軽く扱われる始末だったという、戦争末期の新改。
四国の本土防衛軍の中心がこの界隈やった訳で、わずかな期間ではあるけど、かなりの人々が往来した新改。そして新改信号場。
そんな新改駅も、今では、JR土讃線の駅別乗降客数ランキングで堂々の「データなし」だ。かの有名な秘境駅「坪尻駅」でも2名なのにね。おかげで、静かな静かな非日常空間を堪能してきました。
さあ。今から10kmほど走って、ビールを飲むぞ。この素敵な河畔で。