南与力町の立札〔8〕2003/04/24
2003年4月24日(木)雨
春の雨は、景色をすり硝子を通して見せる効果があってとても綺麗ですね。ひまわり太郎は大好きです。
今朝は鏡川沿いに走ってきました。弊社本社のある与力町(旧町名南与力町)も、鏡川のすぐ近くに有ります。この立札は、一昨年、高知城築城400年を記念して高知市が作ったもので、市内のいたるところで古い町名を説明しています。なかなか気の効いたことをやりますねえ。
南与力町」は、この立札に書いてある通り、山内家の家老 乾家の与力がたくさん住んでいたことに由来します。乾家は現在の高野寺のところにあり、身分の高い家柄でした。幕末には乾退助という人物を輩出します。戊辰戦争で手柄をたて、自由民権運動の旗手になります。そう、「板垣死すとも自由は死せず」の板垣退助が、この乾退助という訳です。
ひまわり太郎が子供の頃の100円札は板垣退助でした。