秋の日本海、自然の力〔7479〕2023/10/07
2023年10月7日(土)曇り
そんな訳で久々の皆生温泉。昨日、日ごろ大変お世話になっております大山乳業様を訪問し、近くの山陰線無人駅の待合室でリモート商談したりして過ごし、米子に泊まってました。そんな訳で今朝は5時に起き出して皆生温泉RUN。雲は多いものの、なかなか心地よいRUNでした。やっぱし朝RUNはいいねー。
ここは、皆生漁港前。秋の日本海は波高く、太平洋とは全然違う風情を醸し出しておりました。右手に見えるのが皆生温泉の、灯り。
この海岸を見ると、海岸線に平行に、離岸堤があるのがわかりますよね。トンボロの為の離岸堤だ。自然の営みを利用した砂浜再生事業が、この海岸で行われていた話は、前にも書いたっけ。
そもそも皆生温泉が漁師によって発見されたのは明治33年のこと。その後、温泉郷として開発が進むも、大正12年以降、大変な状況になってしまう。源泉が湧き出ていた砂浜が後退し、海に沈んでしまうという予想もしなかった危機に見舞われたのでした。原因は明らかで、日野川上流での砂鉄採取が行われなくなったから。
日野川では、たたら製鉄の為に砂鉄採取が大規模に行われてきました。その採取の際に川の土砂が川を流れ得て海に流れ出し、その砂が、弓ヶ浜半島の砂浜をつくりあげてきた、という歴史。皆生温泉の浜も、その砂鉄採取がなかったら、存在しなかったのでした。
そうそう。安来節の泥鰌すくいと砂鉄採取の関係は、こないだも書いたね。
それはともかく困った皆生温泉の人たち。なんせ、海岸は300mも後退してしまった。最初は砂が持っていかれないように護岸工事を施すも、すぐに崩壊して失敗。そこで自然の力を利用することを考えた訳だ。トンボロ現象。それは「離岸堤工法」と呼ばれ、砂浜に平行に離岸堤を築くと、離岸堤に向かって砂州が伸びていくという現象を利用したもの。実績は乏しかったけど、とにかく昭和45年からやってみた訳で、それが、うまくいったのでした。そこで。昭和57年までに12基の離岸堤が設置さて、こんな風景ができあがった訳だ。
離岸堤ができる前が、これ。こんな感じで工事が進み、現在は、これ。おもしろいね。自然現象を利用して、景観を守る。人間の営みは、自然の風景を変えていく力があるけど、それは自然の力を利用してこそ。そんなことを考えさせてくれる、風景。
日本海の成り立ちについては、また今度。