我が国最古の沈下橋跡〔720〕2005/04/05
2005年4月5日(火)今日も快晴!
場所によってかなり差がありますが、あちらこちらで桜が満開になり始めましたね。そろそろ桜の名所から、このにっこりをお届けせんといかん季節になってきました。が、鏡川沿いのやつは概ね遅咲きなんで、まだ5分咲きといった木が多いですね。
さてさて、先日の高知新聞に掲載されちょりましたが、現在の柳原橋のすぐ上流にあった沈下橋のことを記念して、高知市役所の有志によって案内看板が立てられたがです。場所は、沈下橋跡の北岸、土手を上がったところにある忠霊塔の前。ここには大きな大きな桜の木がありまして、現在5分咲き。満開になるとそれはそれは見事です。
このすぐ左手には何度もご紹介したフランクチャムピオン氏の記念碑が屹立しちょります。
今日の本題は「沈下橋」。何度もご紹介しましたね、この場所に昭和52年まで架かっちょった「沈下橋」。昭和2年、高知市役所の吉岡技師の発案で、増水した際には水に沈む橋が、日本で始めて作られました。当時の土木課長が、建設省に何度も何度も何度も申請説得し、最初は鼻で笑われよったこの工法を認めさせ、完成にこぎつけたのであります。
今では、高知県でも四万十川などにたくさん架かって風景に融け込み、観光名所にもなっている「沈下橋」。その始まりはここやったがですね。昭和50年の台風5・6号、翌年の台風17号で被害を受け、河川改修が行われる一環で撤去されました。
しかし、その記憶を残そう、素晴らしい市役所の先人の記憶を残そう、と思った職員有志が、この看板を立てたんですね。
エイ話です、こぢゃんと。