50年前、中村線全通〔6379〕2020/10/02
2020年10月2日(金)晴れ
満月の朝。昨夜の満月は見事でした。中秋の名月ね。秋の空に満月はよく似合う。もう、10月か。
昨日は10月1日で、高知新聞に「悲願の全通50周年 土佐くろしお鉄道の中村線 活路を模索」という見出しが踊ってましたね。ご覧になった方も多いと思う。
そう。1970年10月1日、当時国鉄の中村線、土佐佐賀~中村間が開通し、幡多の中心地中村から高知、高松へと鉄路がつながったのでした。丁度50年前。
大阪万博はその直前、1970年9月13日に閉幕してるから、万博には間に合わんかったのね。まあ、あんまし関係ないけど。
そして当時の時刻表。そう。こないだ手に入れた交通公社の時刻表は1970年10月号。10月1日、全国ダイヤ改正が行われ、それが掲載されてる時刻表。その改正により、中村線中村駅までの汽車が初めて載った時刻表なんですね。
この記事には「午前7時27分、中村発高松行きの一番列車を約1万人が見送った」とあるから、すごい。当時も人口4万人に満たない中村市で、1万人が一番列車を見送った訳で、その嬉しさたるやもの凄かったんでありましょう。
早速検証してみよう。これが、1970年10月1日改正時刻表の、土讃本線・中村線「上り」のページ。なるほど。中村駅発の一番列車は7:27分発で間違いない。でも、この汽車は急行ではなかったんですね。高松行きやけど、窪川までは普通列車で、窪川からが急行あしずり2号になるのでした。高知駅で徳島線小松島港行きの急行よしの川3号を併結してます。そうそう。徳島直通の急行、あったあった。
この時刻表見ると、開通当時、中村発の急行は11:34発の急行あしずり4号と18:49発の急行あしずり7号だけ。他は、普通列車で、窪川から急行になるのが多い。
これが、1981年の時刻表になると、中村発の急行は4本、特急南風が2本あるので、開業11年の間に随分と便利になったこと、わかります。
でも、開通時の急行って、なかなかすごい。あしずり7号は、中村駅を出ると、窪川駅まで止まりません。そして須崎、佐川、朝倉、高知。今の特急よりも止まる駅がずっと少ない急行あしずり。特急と急行の違いって何だろう、と考えさせられますな。
1970年時点では中村線、土讃本線に特急は走ってなかったけど、1972年3月15日、ついに特急南風が走り始めました。
土佐くろしお鉄道HPに「中村線開業50周年特設ページ」が開設されてますが、このTOPにある写真は南風のデビューなので1972年3月15日のものだと思われます。キハ181系。50周年特設ページのTOP写真が48年前のものなのは、何故だ?
どうでもいいことでした。
あと、1970年の開業時は、中村駅18:49発の急行があって、これに乗ると24:00に高松で、宇高連絡船に乗ると宇野1:46発の急行鷲羽1号に乗れて、新大阪に5:27に着けてます。新大阪6:00発の始発新幹線ひかり2号で東京へ行ける、夜行急行。山陽新幹線ができてないので急行鷲羽。いわゆる「夜行」があったのでした。
山陽新幹線開通で急行鷲羽が廃止され、自動的に「夜行」がなくなってます。なので中村発で高松へ行ける最終の急行は15:59発になってしまってますね。それこそどうでもいいですか?
ともあれ中村線全通50年。半世紀。高知新聞では、利用車の減少に歯止めがかからないのをどうするか、といった論調の記事が書かれてます。
1万人が見送った悲願の鉄道。今となっては、中村線がない中村は、ちょっと、想像できない。
「乗って残そう、おらが鉄道」だけでは絶対に無理、ということが今は明らかになってて、そうではない、これからの公共交通、鉄道のありようを、みんなで考えていかんといかん時代に突入しております。
今月の、つまり2020年10月号の時刻表を買って、50年後に眺めたら、どんな感慨を抱くんだろう。僕がそれまで生きてたらすごいことになりますが。でも、誰かが保管して持ってるのをメルカリみたいなので買って、ああ、あんな時代もあったのか、などと、今の僕が1970年の時刻表見て楽しんでるみたいなこと、やる人が居るんでしょうね。50年後にも、絶対。
ネットで検索できるようになって、本になった時刻表の販売数が減っているから、50年後にはかなりのプレミアムがつくと見ました。
取り敢えず、時刻表、買うちょこうか。