雨、木履、下駄、長靴〔6358〕2020/09/11
2020年9月11日(金)薄曇り
金曜日。今日は、お昼くらいから雨の予報。
ぐっと気温も下がってきました。日中もエアコン無しで過ごせる季節になってきた、今日この頃。風景のあちこちには夏の名残りが少しづつ。本社棟の周囲はまだまだ夏草が元気いっぱいやけど、そんな夏草から聞こえてくるのは虫の声。そう言えば、セミも、夕刻に聞こえるツクツクボウシくらい。
まだ降ってないけど、今日はお昼くらいから、雨がシトシトの予報。雨で連想する歌、どんなのがあります?
シトシト降ると「モナリザの微笑」で、ザ・タイガース。
♪あめがーしとしとにちようびー ぼくはー ひとーりーでー きみのー かえーりをまっていた
小糠雨だと御堂筋で、欧陽菲菲で、
♪こーぬか あめふる みどおおすじー
土曜の昼下がりだと、傘の花が咲いて、約束した時間だけが身体をすり抜ける三好英治で、
♪あんめにー ぬれながーらー たたず~むひとが いるー
利久鼠の雨なら、北原白秋で、
♪あ~めは ふ~る ふうる~ じょう~がしーまーの い~そに~
北原白秋か。北原白秋で雨、と言えば、こないだも歌碑をご紹介した、我らが弘田龍太郎作曲の
♪あーめが ふーりまーす あーめが ふーるー
♪あーそびーに ゆーきたーし かーさーは なーしー
♪べーにおの かっこも おーがきーれーたー
ここで言う「かっこ」は木履。木履を辞書で調べると、ぽっくり。ぽっくりさんとか、言うてました。ぼくりとも言うね。読んで字の如く、木でできた履き物。いろんな用法があるみたいやけど、「雨」で言うてるところの木履は「かっこ」で、「ぽっくり」で、こんなの。女の子が履く下駄。歩くとぽっくりぽっくり音がする。
雨が降ると下駄を履く。という風景が、かつての日本には、ありました。
舗装してない、土の道の時代、雨が降ったら地面は泥濘。その上を歩くのに、草履では具合が悪いのね。足までドロドロになるから。だから、泥濘の上を歩くには下駄だったのでありました。ところがせっかくの、お洒落な紅緒の下駄の緒が切れてしまい、雨の中、歩いて外へ出られないという悲しさが、この童謡からは滲み出ております。北原白秋の言葉と、弘田龍太郎のメロディーが織りなす雨の風景。よくできてます。
今だと、こどもたちは、雨が降ったらカラフルな長靴を履いて喜んでますねー。今朝の写真は僕の長靴。会社の近所の清掃活動に出かけるときや、廃トンネルを探検するとき、履きます。
さて。
では、昔は、晴れた日には下駄を履かなかったのか。
基本、履かなかったみたい。で、晴れた日に下駄を履くことを「日和下駄」という言葉で呼んだそうです。こないだ、永井荷風の「日和下駄」という本を読みました。明治から昭和初めに活動した永井荷風は、晴れた日でも、下駄履いて、蝙蝠傘をステッキがわりにして歩く「変わり者」だったと自分で白状してます。随筆に「日和下駄」という題名をわざわざ付けるくらいなので、晴れた日の下駄は、スタンダードではなかったこと、知ってました?
僕は学生時代、東京の街を、雨の日も晴れの日も、平気で下駄履いて歩いてました。
今思い出すと、ちょっと、顔が赤くなる。過ぎたことなので、まあ、いいか。
高知の城下では、藩政期、上士の住むエリアである郭中を、雨の日に下士が下駄履いて通ることが禁じられておりました。ハッキリクッキリした身分差別があった、高知の城下。雨が降っても草履でドロドロになりながら歩いた下士の思いが、明治維新のエネルギーになったのかどうかは知らんけど。
雨の日も晴れの日も、下駄履いて東京を闊歩していた僕の思いは、どんなんだったろう。もう、忘れました。思い出すだに、汗が出る。遠い日の、汗臭くて酸っぱい「記憶」。でも、ちゃんとめもあある美術館では、額に入れて飾ってあるんでしょうな。ああ恥ずかしい。