地球の生物と美意識と宗教〔5279〕2017/09/28
2017年9月28日(木)晴れ!
昨夜は降りました。今朝は晴れて、美しい朝。
ここは介良。国道55号線、南国バイパスから撮影しました。左手には高天原山。右手が小富士山。通称介良富士。その間に昇り始める朝日。
この山々は、神様が棲む山。高天原山にはたくさんの古墳がありますし、介良富士には古代の信仰の痕跡。高天原山という山の名前からして、神の山。
この、山の間を向こうへ行けば、弥生時代後期の大きな竪穴式住居もあって、古くから人々が生活してきた場所だ。そのまた向こうは田村遺跡という南四国最大級の弥生遺跡がありますきんね。
その頃の人々は、神をどのように考えていたのだろうか。田村遺跡からは、あまり宗教的な施設は見つかってない。ないけど、間違いなく、彼ら彼女らの神は、絶対的に存在したと思う。それが社会性を持った人間というものだから。
とかなんとか、この神々しい空を見ていると想像が膨らんで仕方ありません。僕だけだろうか。
今朝の新聞に、日本の研究者が、39億5千万年前の生物痕跡を発見した、てな記事が載ってました。もし本当なら、今までみつかっていた最古の化石よりも1億年以上古い、最古のもの。検証が待ち遠しい待ち遠しい。
僕らはこの空を美しいと、思う。秋の朝の空気が清々しと、思う。これは、僕らがそういう環境に適合して進化してきたからの他ならない。忘れがちやけど。
そもそもの、地球で最初に現れた生物にとっては酸素は大敵だったと思う。猛毒といえるほど。最初の生物は、深海の熱水噴出口のようなところで生まれたというのが定説ですが、そこには酸素はない。40億年前の地球の大気にも、酸素はほとんど、ない。そんな中で生まれた生物は、長い長い進化の中で、環境を変えながら進化を繰り返す。
藍藻類が浅海底で何億年も暮らしていくうちに、光合成によって少しづつ酸素が生まれ、地球は酸素の多い星となった。その酸素環境に適合するように大きくて複雑な生物が生まれ、進化していく。
酸素がおいしい、と思う生物は、地球の年齢から考えれば、つい最近生まれたばかりと言えましょう。
その生物は海の中で暮らし、様々なセンサーを発達させる。光に反応しながら生存競争を生き延びていくセンサーが登場するのは、カンブリア紀のこと。その光学センサーは優れもので、三葉虫の時代には飛躍的な進化をみせた。複雑なレンズで光を効率的に集め、それを脳で認識して形あるものに変換していく機能。生物が生き延びていく為に、そのセンサーは、非常に重要な役割を果たしたことは想像に難くない。
今、僕らがこの空を美しいと思うのは、その光学センサーが、自分の生存にとって有利なものを有利であると認識するように反応するからなんだろうと、思う。だから、大自然の営みを、僕らの脳みそは美しいと認識するのだと、思う。
今、この地球に、地球外生命体がやってきてこの風景を見ても、その生物の光学センサーは、たぶん、美しいとは認識しない。それよりなにより、猛毒の酸素が多い大気では、たぶん即死してしまうだろうと、思う。
清々しい空気、美しい空。
これは、これは、地球で進化してきた僕らだけのもの。これは、間違いない。だから、この山々を神の山と思うのも、僕らだけの感覚。