銭湯とコンバットマーチ〔4574〕2015/10/24
2015年10月24日(土)快晴!
今朝は高知。昨日、東京からモンて来ました。
にも関わらず、今朝、また東京へ行きよります。朝の一便に乗るべく、ここは宝永町。空港バスのバス停の近く。ここに、もう高知では数軒だけになってしまった銭湯があるのであります。普通の銭湯。「司湯」さん。
定休日が日曜日ということで、行ったこと、ありません。
こないだの10月10日、東京堪能29kmランをやりました。走った後、汗を流しに行ったのが人形町の「世界湯」さん。懐かしさいっぱいの、普通の銭湯「世界湯」さんは、かなり感動ものでした。
高知にも、数軒の昔ながらの銭湯が残り、その中の一つが、ここ、「司湯」さんという訳だ。一度、入浴しに行ってみたいと思いつつ、まだ、よう行っちょりません。
高知の銭湯。昔、与力町に住みよった小学生時代。家の風呂は工場の風呂と兼用になっちょりまして、入るのが遅くなると、工場の寮住まいのおんちゃん達と時間がかぶってしまう。一人しか入れんせんばい風呂やったので、仕方なく近所の銭湯に行ったりしました。家の風呂が狭かったので、銭湯の湯船で泳ぐ(泳がれません)のが楽しみであった、そんな時代。
小生、東京で大学生をやりよった4年間は、銭湯に通いました。中野区上高田ということろに住んじょったのですが、下宿屋の近所には数軒の銭湯がありました。そう。近所だけでも数軒。以前、その銭湯はどうなっちゅうろうかと思うて行ってみまら、既に、全部ないなっちょりました。なんか、寂しい。
銭湯に入り、下宿屋へ帰る途中にある小さな居酒屋で一杯二杯と引っ掛け、ヘロヘロになって帰宅、ということが幾度も繰り返された、そんな時代。
大学で入会しちょったいくつかのサークルのうちの一つが「なべの会」。毎週、山へ出掛けて行っては野草を採取し、その場で調理して食べる、というサークル。なかなか元気の良いサークルで、今では許されないような飲み方、騒ぎ方をしていた青春時代。
野球の早慶戦では、何日も前(2週間以上)から神宮球場のゲート前に泊まり込み、一番乗りを目指す。で、下級生は色んなことを仕込まれるのであります。その中の一つが、コンバットマーチ。甲子園なんかでよく見る、あれ。元々は、早稲田大学が始めたもので、今もチャンスになると、コンバットマーチ。
その、応援団の振り付けを、下級生は仕込まれるのでありますね。小生も、身体に染み付いてしまいました。応援団の本式を完コピしたもの。
数年前、小生の母校が21世紀枠で甲子園に出場することになりました。その際、応援団が結成された訳ですが、色んないきさつがあって、小生がコンバットマーチの振り付け指導をやることになりました。なべの会仕込みのコンバットマーチ。
甲子園では、幾度も幾度もコンバットマーチが使われ、ちょっと、感動しました。
その後、甲子園に出場することもなく、応援団も解散したのかと思うでおりました。
ところが。有志が先輩達の思いを引き継ぎ、今も続けておりました。もちろんメンバーがすべて入れ替わって。エールの交換など、懐かしいことを、制服制帽でやっている応援団。
今回、その母校が秋季大会で四国大会に出場、今日が徳島県で試合となりました。応援団の先生から、コンバットマーチがサマになってないので、今一度指導に来てくれ、と言われまして、昨日の夕刻、行っちょりました。
いいですね〜、若い子たちは。
そんな訳で、今日も、徳島の野球場で、なべの会仕込みのコンバットマーチが繰り広げられるものと思われます。その力で勝ってくれると嬉しいですね〜。東京から、健闘を祈ることとします。