曽根崎心中の夜空〔4500〕2015/08/11
2015年8月11日(火)晴れ
そんな訳で、今朝は大阪。昨夜、心斎橋のお客様のお店で、おいしい料理をご馳走になりました。宿泊は梅田の南東。曽根崎界隈。そこしか取れませんでした。今、大阪は外国人環境客が増えて、ホテルがこじゃんと取りにくうなっちょります。
今は、四国方面へと帰る車の中。事故渋滞とやらで混みまくる阪神高速道路におります。
写真は、ホテルの真ん前の神明社さん。奥の大きな自然石には「神明社舊跡」と刻まれちょります。ここは、昔、大阪湾に浮かぶ孤島であったと言います。曽根崎。そこに、9世紀初頭、源融が勧請してきたのを始まりとする、と説明板に書かれちょります。
かつては「日本七神明宮」の一つと呼ばれ栄えたお宮さんも、その後衰亡してしまい、ここから西へ行った露天神社、通称お初天神さんに合祀されることになった、とあります。なので「神明社舊跡」。
曽根崎。
この、「ソネ」というのは、砂礫の多い痩せた土地のことを言うケースが多いにかあらん。そう。南国市にもありますよね、大そね。あのソネの漢字が、まさしく痩せた砂礫質のことを表現するのではないでしょうかね。想像ですが。
大ソネは、物部川の自然堤防上にあります。物部川が運んできた砂礫が、ソネという地名につながっちゅうのでありましょうね。
大阪の曽根崎も、同じソネにかありません。砂礫質の痩せた土地。
で、上に書きましたが、曽根崎と言えば曽根崎心中で、お初天神。
実際に起こった事件から。
元禄16年(1703年)4月7日。内本町の醤油屋の手代、徳兵衛と、堂島新地、天満屋の遊女、お初が、天神の森で無理心中した、という事件。
この事件はあっという間に世間に広まったようで、事件の一ヶ月後には近松門左衛門が「曽根崎心中」という浄瑠璃にしたてて空前の大ヒットを飛ばした、というのはご承知のとおり。事実に、色んな脚色をして、大衆の興味を引かせた曽根崎心中。
この心中事件が起きたとき、どんな夜空であったのか、気になりますよね。なりませんか?
そんな訳で、少し調べてみました。渋滞で暇だもんで。
元禄16年4月7日は、西暦1703年5月22日。その日のお月様は、月齢6.7。もうまあ上弦の月、という半月に近い形。で、夜、10時半くらいには西の空に沈んでしまう。そんな夜空でした。
その時期、丁度、天満界隈の市街化が始まった頃にかありません。しかし、天神の森は、人気(ヒトケ)のない静かな森であったでしょうか。夜、お月様が西の空に沈んで真っ暗になった頃、その心中事件が起こったのでしょうか。
そんな妄想をすると、その風景がクッキリと瞼に浮かんでくる気がします。しませんか?
西暦と和暦がしゅっと換算でき、月齢計算も簡単で、特定の日時の夜空がわかる。便利な世の中になったもんだ。妄想の幅が広がります。