高知競馬と長浜競馬〔4421〕2015/05/24
2015年5月24日(日)曇り後晴れ
昨夜は飲みました。グッスリ飲みましたね〜。たまるか言うばあ、飲みました。会合は二つ。その二つ目は、城西館の思季亭さんで、高知の強烈な個性のすごい農家さんたちと、貴重な在来野菜を使うた素晴らしい料理を食べながらの集まり。いや〜、美味しかった。楽しかった。
農家さん達の想いや個性も素晴らしく、濃密で楽しい時間を過ごさせてもろうたのであります。それにしても、城西館の山下料理長、恐るべし。いつも、持ち込まれた珍しくて個性的な食材を、素晴らしいセンスで色んな料理に仕立て上げてくれます。天才やと思います。いや〜、美味しかった。ついつい飲みすぎてしまう、そんな料理と人々でございました。
さて。今日は、午前中は春野で用事があり、お昼頃から南嶺をたつくってきました。
ここは、一気に駆け登った鷲尾山頂。お天気も良くなって、心地よい山頂の風景。
最近、山頂西側の樹木が伐採されて見晴らしが良くなりました。どなたがやってくれたのか知りませんが、素晴らしい。
小生、子供の頃からずうっと鷲尾山を登ってきました。が、昔はもっともっとずっと、見晴らしが良かった鷲尾山。今は山頂を囲む界隈の樹木が成長し過ぎ、邪魔になっちゅうのであります。南側、太平洋側は素晴らしい眺望なのですが、北側は樹木で何も見えない。西側の樹木が伐採されて烏帽子山方面の眺望が素晴らしくなりました。
願わくば、北側の鬱蒼とした樹木も何とかして欲しい。小生が子供の頃は、北側の眺望も素晴らしかったと記憶します。
さて。
写真は、頂上から南を撮影したもの。正面の白い建物は、高知市のゴミ処理場。ゴミを焼却する余熱で「ヨネッツ」という温水プールを運営しよります。Jr.が小さい頃、何度行ったことやら。
で、その横に、競馬場が見えます。高知競馬の競馬場。楕円形の馬場が見えております。
かつて、桟橋にあった高知競馬、昭和60年に、ここに移ってきました。
桟橋にその高知競馬場ができたのは昭和25年。爾来35年間、今の南高校とわんぱーく高知の場所にあった競馬場が、高知の庶民の娯楽の殿堂であった訳だ。
以前にも書きましたが、かつて、高知にはたくさんの草競馬がありました。新川の草競馬の痕跡は、以前にもご紹介しちょります。
で、草競馬ではなく公認の競馬場となると、戦前に、桟橋の、前の競馬場のところにあった「桟橋競馬」と、長浜の「長浜競馬」なんでありますね。桟橋競馬は途中で中断しますが、長浜競馬は、昭和8年から昭和25年まで、戦争を挟んで賑わい続けたと言います。
その場所は、現在の南海中学校の南界隈。地理院地図で、昭和22年に米軍が撮影した航空写真が閲覧できますが、それには、長浜競馬がはっきりくっきり写っちょります。それと、現在のGoogleマップを照合してみますと、若宮八幡宮さんの南側の玉垣が、馬場のカーブに沿うような感じがするのでありますが、真相やいかに。
この写真で言えば、この眼下から海へ伸びていく山の先っぽ。その先っぽのところに若宮八幡宮さんが鎮座ましますので、その左手。その辺に、昭和8年から昭和25年まで、競馬場が存在しました。しかも公認の。
昭和8年に、その場所に公認競馬場ができる以前は、大正末期に土佐山田につくられた山田競馬が公認でした。長浜競馬ができる際に、廃止となっちょります。その山田競馬で、昭和2年12月に開催されたレースでは、何と、1日に3万人の観客が集まったと言います。すごい。娯楽の王様、競馬であった訳だ。その後継である長浜競馬も、すさまじい観客を集めたと言います。
なので、この写真に写っちゅう立派な立派な競馬場よりも、あの、向こうの山の左手にあった、簡素な簡素な競馬場の方が、幾倍もの観客を集めて賑わいよった時代があった、ということになります。この鷲尾山頂からの写真には、そんな歴史の変遷が写りこんじゅうのであります。