台湾の思い出〔4274〕2014/12/28
2014年12月28日(日)曇りのち雨
年末の日曜日。午前中、田野へ行っちょりました。田野町の大野台地の上に、ご先祖様が眠っておりますもんで。
県内の道路も、各所で混んでおります。街には、いつになく若者が溢れ、年の瀬の雰囲気を盛り上げております。
田野から高知市内にモンて来て、ここは秦泉寺の実家。この部屋は、小生が中学校3年生から高校卒業まで過ごした部屋。大学を卒業し、高知へ帰って働き始めてからも、この部屋で暮らしました。今は倉庫みたいになっちょって、色んなものがひしめき合う部屋。
その壁に、懐かしい地図が当時のまんま貼っちゃありました。臺灣省全圖。台灣の地図。
あれは何年前でしょう。大学3年生と4年生の間の春休みやったでしょうか。30年以上前。高校の時の同級生M君と二人で、台湾旅行に行きました。中華民国台湾省。総統は、蒋経国さん。蒋介石の息子さんで、蒋総統経国先生、と呼んでおりました。
中華航空で羽田から台北に飛び、街へ着いたのが深夜。なんとか宿を探し、台湾一周の旅がスタート。いわゆるバックパッカーの走りですが、まだ、「地球の歩きかた」という本はアメリカ編とヨーロッパ編しかなく、地図と観光ガイドブック頼りの旅行。翌日、台中まで汽車で移動。台中の駅前の、自転車修理屋さんのようなお店で、中古の自転車をそれぞれが購入。そして、そこから最南端を周り、花蓮までを自転車で楽しんだことでした。ああ、懐かしい。
当時の台湾。まだ、都会にも百貨店というものが珍しく、台北の超級市場のエスカレーター乗り場では、地方から出てきたと思しきおばちゃんが、タイミングが取れず、乗れずに困っていた、そんな時代。
舗装されてない道路も多く、都市計画も道半ば。当時、「15年位前の日本を見ゆうみたいやね〜」と話したことでした。インフラ整備は進んでないものの、何か、すごい活気に溢れた台湾。ああ。それから30年も経過し、台湾は、現在みたいになりました。隔世の感があります。
自転車なので、どこへ行くのも自由。基本的には、街の安宿を見つけて泊まる訳ですが、山中で日が暮れてしまったこともあります。民家の戸を叩き、街への路を尋ねたら、泊まっていけ、と言われたことも2度ありました。
あ、会話は拙い中国語と筆談。二人とも第二外国語が中国語やったので、片言のヘンテコリン中国語は喋れました。しかし複雑な内容になるとダメ。
山中の家で泊まった時には、その家のおんちゃんがバイクで出かけ、しばらくして後部座席におじいちゃんを乗せてモンて来ました。そのおじいちゃんは、戦争経験者で日本語ができるのでありました。で、話しますと、我々は、戦後初めてその村を訪れた日本人とのこと。気がつくと、30人ばかしの村人がやってきて我々を取り囲み、宴会みたいになってしまいました。貴重な思い出。
最南端に素敵なビーチがあったので、泳ぎました。心地良かったです。しかし誰も泳いでない。不思議に思い、周囲を見てみると、サメの絵が描いてありました。
そして知本温泉事件。
その日は、最南端を周り、東海岸へと向かおうと思うちょりました。しかし、山中で道は通行止め。どうやら、その先に軍事施設があるがにかありません。地図に道路が描いてあるのに、通れない。西海岸まで戻り、もう一つ北の道から峠を越えて東海岸へ。簡略な地図だけを頼りに、何とか台東近くに辿り着き、その日は「知本温泉」という所で泊まることにしたのであります。もう、疲労困憊。
部屋に入り、少し休みよりますと、友人のM君が、風呂へ行きました。しばらくしてモンて来て「あ〜。エイ風呂やった。露天風呂が広うて気持ちエイき、行ってきとうせや。」
そこで小生も露天風呂に出かけ、服を脱ぎ、風呂の縁で、手持ちの石鹸で頭も身体も洗い、もちろん全裸で露天風呂に浸かって疲れを癒して、上がってきたのでありますね。現地の方々も、たくさんお湯に浸かって寛いでおりました。あ〜、エイ温泉ぜよ。
さて。翌朝。
なかなかエイ風呂やったき、もう一回行こうぜや、ということになり、二人して露天風呂へ。朝、明るくなってからそこで見た風景は。
そこは温泉プールでした。皆、水着を着て、お湯につかったり泳いだり。家族連れや老若男女。そして。愕然とする二人。
つまりですね、昨夜は、全裸の男二人が相次いでプールを訪れ、プールサイドで石鹸を使うて身体や頭を洗い、プールに全裸で入ってから帰って行った、という事件が発生しちょった訳です。二人一緒に、ではなくて、相前後して順番に。なんという事件。
恥ずかしいので、逃げるようにその宿を出発したのは言うまでもありません。当局に通報されいで良かった良かった。
と、まあ、色んな事件を巻き起こしながら、花蓮まで進み、そこの自転車修理屋さんで自転車を売り払い、台北まで帰って、日本へ帰国しました。15泊か16泊ぐらいやったと思います。
まだ、発展途上の、活気に満ちた面白い台湾を体験できたのは、本当に良い経験。30年経過しても、街々の、どんな小さな街にも必ずあった屋台の食べ物や飲み物の味を鮮明に覚えちょります。
この地図は、その際に買うて来たもの。黒い実線は自転車で通ったルートで、黒丸が泊まった場所。
久々に、実家でこの地図を眺め、色んなことを思い出してしまいました。