残るソテツの たくましく〔4246〕2014/11/30
2014年11月30日(日)薄曇り
それにしても何という暖かさでしょうか。日中は、暑いくらい。
昨日は、お昼から婚礼に出席しちょりまして、飲みに飲んで家に帰り着いたのは夜、11時近うなっちょりました。ああ。何時間飲みゆうことやら。これから忘年会シーズンも佳境に入っていきます。益々飲む機会も増える訳で、いくら心持ちが良かったとは言え、無理せられんと思います。飲み始める時は、そんなことも思いゆうがですけんど、飲み始めたらね〜。
今日は昼から飲むがはやめちょきます。
さて。
今日はお昼から高知市役所たかじょう庁舎で開催されるシンプジウムに出席せんといけません。準備をすべく、市内中心部をたつくってみました。
ここは追手前小学校跡地。今、この東側で新図書館の建設工事が始まっちょります。この西側はひろめ市場で、今日は日曜日なので道路には日曜市が並んじょります。
ソテツ。蘇鉄。そてつ。
追手前小学校のシンボル、ソテツが、今、ここに移植され、図書館の工事が終わって正式な場所に移される日を待ちよります。
このソテツは、昭和20年、第三国民学校(後の追手前小学校)が空襲で焼けた際にも生き残り、戦後復興のシンボルとして愛され、残されてきたソテツ。小生が子供の頃は、木造校舎の前にありました。
追手前小学校の校歌の2番。
広い青空 南国の はえある町の 中央に
残るソテツの たくましく 強く正しく 伸びようよ
楽しい学校 追手前
この歌詞にあることによって、我々卒業生の胸にシッカリと刻まれちゅうソテツ。
鉄筋コンクリートの校舎ができた際、その校舎の東側に移設されたソテツ。その校舎も取り壊され、解体工事中には体育館の東側に仮に移設されちょったソテツ。今、工事にマギランこの場所に仮移設され、静かにたたずんでおります。
よく見ると、「ソテツ」と書かれた白い木札。錆びきった針金で樹に縛り付けられた古い木札。これは懐かしい。この木札は、かなり古いと思われます。かなり見慣れちゅう気がします。ひょっとしたら、小生が子供の頃に見ていた木札かも知れない、と、感じました。懐古趣味ではありますが、この木札も一緒に残していってもらいたいもんでありますね。
ソテツと言えば、こないだご紹介した駅前の石川啄木さんのお父様終焉の地の歌碑の後ろ側にもソテツがありました。標柱を読んでみますと、「帰国記念植樹」と読めました。北朝鮮が、金日成総書記の指導のもと、日本から北朝鮮への帰国事業を始めた際の記念植樹にかありません。ソテツという樹のたくましさが、よくわかります。
ソテツは蘇鉄で、四国九州、沖縄界隈で多く植えられちょります。南方の雰囲気を醸し出すソテツは、痩せた土地にも強く、実に強靭なので、街路樹や植樹に利用されることが多いにかありません。とは言え、最近はどうなんでしょうかね。記念植樹にソテツ、というのは、メッソ聞かんなったような気もします。
新図書館が完成しても、この強靭なソテツは、古い木札と共にしぶとくたくましく生き残っていくのでしょう。