潮江天満宮、大山祇神社、手箱山、筒上山、宮地家〔4078〕2014/06/15
2014年6月15日(日)晴れ
今朝は、久々に鏡川RUN。で、途中、潮江天満宮さんをお参りしてきました。毎年6月30日は輪抜け様。高知の神社のお祭りとしては、一番人気かも知れません。市内中心部に近く、交通の便が良い、ということもあるのでしょうか。輪抜け様の季節が近づいて参りました。
その潮江天満宮さん。もちろん御祭神は菅原道真公ですが、土佐権守に赴任しちょった嫡男の菅原高視さんや、北の御方も、祀られちょります。
その本殿の西側には小さな山。その小山の上には巨岩が鎮座し、磐座として祀られちょります。その磐座の前に、この写真のように、祠が祀られちょります。大山祇神社さん。
祠右側に説明札が立てられちょります。が、今はもう文字が消えてしまい、何と書いちゅうのか、読むことはできんなりました。
小生は覚えちょります。その内容。
この大山祇神社は、古老の言い伝えで、手箱山から勧請してきたものであるらしい、という内容が書かれちょりました。手箱山と言えば、石鎚山に近い、四国山地主脈に聳える1806.2mの山。県境に接しない山としては、高知県で一番高い山、手箱山。
なので、一度、その勧請の元となる大山祇神社さんをお参りしてきたい、と、思いよりました。で、登ってきました。先月のゴールデンウィーク中に。
しかし、手箱山に登っても、頂上に大山祇神社さんは鎮座しちょりませんでした。祠はありましたが、どうやら大山祇神社さんではない。これはどうしたことか。
で、手箱山から、隣の筒上山(1859.3m)へ。筒上山は、鎖をよじ登っていかんと登れん、崖に囲まれた山。そのてっぺん界隈は、たくさんの神様が祀られる霊峰でした。頂上に大山祇神社。
その大山祇神社や、頂上周辺の神様群についての説明板がありました。それを読んで納得。
詳しくは、その、5月4日のにっこりひまわりに書いたので省略しますが、ここ、潮江天満宮で言うところの手箱山は、実は筒上山であった、という事実。昔は同じ山と見なしちょったがかも知れません。で、何故、潮江天満宮の境内社に、筒上山の大山祇神社が勧請されてきたのか。
それは、潮江天満宮の、幕末の宮司さんが、様々な霊験を感じる方で、神の導きによって筒上山にたどりつき、そこに大山祇神社を創建、周辺に様々な神様をお祀りすることになった、ということです。つまり、この大山祇神社は、潮江天満宮の宮司さんが筒上山頂に創建した大山祇神社さんから、またまた勧請してきた神社、ということになります。
しかし、現在の潮江天満宮さんをお参りしても、そのような経緯を知らしめるようなものは何もありません。
その幕末の宮司さんは宮地さん。
太宰府で菅原道真公が失意のうちに亡くなり、その遺品を、白太夫さんが土佐まで運んできました。土佐に左遷されちょった嫡男、菅原高視さんに届けるべく。しかし、大津までやって来たところで急死。遺品は、高視さんのもとへ届けられました。
その遺品を祀って天満宮としたのが、地元の宮地さん。で、代々、宮地さんが、潮江天満宮の宮司さんをつとめるようになった、ということ。
筒上山頂の説明板によりますれば、宮地家は、日本武尊の第四王子、建貝王からでた名門で、白雉年間(7世紀)に、宮地信勝が山城国から土佐へ移住。その子孫が、菅原道真公を祀った、ということ。
筒上山、手箱山と潮江天満宮、大山祇神社。非常に深い関係があったのであります。