櫃石島から鷲羽山、横溝正史、森下雨村〔4044〕2014/05/12
2014年5月12日(月)曇り後雨
横溝正史さんの探偵小説に、悪霊島というのがあります。横溝さん晩年、75才から77才迄の間に書かれた小説。小生が高校2年生から高校3年生の時期。その小説は、岡山の鷲羽山から始まります。「全山崩壊した花崗岩からなるこの山は、累々層々と積みかさなった奇岩巨岩のあいだをぬうて、ひねくれた矮性の這い松の群落が点綴している。それ自体がたしかにいっぷう変わった奇勝にはちがいないが、わずか一三三メートルのこの山がひろく天下に知られているのは、そこに立つと国立公園瀬戸内海の景観が、一望のもとに見晴らせるからである。」
この描写の後、岡山を舞台にした横溝小説ではお馴染みの磯川警部が、金田一耕助に、鷲羽山の上でこのように説明します。「それからすぐそばに見える櫃石島、そこからいまわれわれのいる山を見ると、ちょうど鷲が羽をひろげて、いまにも翔び立ちそうにみえることから、鷲羽山と名づけられたんじゃそうな。」
そう。今は、瀬戸大橋ができて、櫃石島から鷲羽山を眺めることができます。瀬戸大橋を通って本州へ向かう際、櫃石島からこの風景を眺めるたんびに、この文章を思い出すのでありまう。鷲がいまにも翔びたちそうに、羽をひろげている姿。なるほど。
鷲羽山には、今は遊園地やらホテルやらができちょりまして、この時代とは随分雰囲気も変わりました。子供が小さい頃、鷲羽山ハイランドへ行ってバンジージャンプをしたことを思い出します。
さて。横溝正史さんと言えば、金田一耕助シリーズで有名な、押しも推されぬ探偵小説の名手。この小説家が世に出るきっかけになったのは、大正9年に創刊された「新青年」という雑誌。この雑誌で編集を担当し、横溝正史や久生十蘭、江戸川乱歩などを世に送り出したのが、高知出身の森下雨村さん。特に、江戸川乱歩は、森下雨村が「新青年」で驚愕の賛辞とともにデビューさせたことでも有名。
森下雨村さん、編集、翻訳の仕事の他に、自分でも文章を書きました。早くに東京を引き上げ、土佐に隠棲して、釣りを楽しみながら書いた「猿猴、川に死す」は、日本の釣り文学の創始にして、傑作とも言われちょります。
釣りバカ日誌のハマちゃんのモデルとして有名で、ビーパル編集者などを歴任した編集者、黒笹さんが、突然、縁もゆかりもない高知に移住してきちゅうがはご存知ですよね。高知新聞にも、文章を書かれよりますし、最近は四国のお遍路をもっと親しみやすいポピュラーなものにして、素敵なウォークラリーに仕立てよう、と、頑張っておられます。その黒笹さん、もちろん釣りが大好きで、高知の川や海に出没しては地元の釣り人と釣りを楽しんでもおられるのであります。
で、もちろん、森下雨村さんの「猿猴、川に死す」は愛読書。
ひょっとしたら、その本は、高知移住を決意する要素のひとつであったかも知れません。
雨村さんが東京を引き上げ、高知に隠棲することにした理由については、最新号の土佐史談で、高橋正さんが論考されておられるように、軍国主義に迎合する出版界に嫌気がさした、などの土佐のいごっそうらしい理由が複雑にあったようで、決してハッピーリタイアメントではなかったと思われます。
が、「猿猴、川に死す」。
大自然や土佐の人々に囲まれ過ごすことの幸せを、伝えてくれる本。高知県も移住促進を考えるなら、今一度、「猿猴、川に死す」を見直してみることも大切かも知れません。
それはともかく鷲羽山。もし、瀬戸大橋を渡って本州へ向かう機会がありましたら、塩飽諸島最後の島、櫃石島から鷲羽山を眺めてみてください。鷲の羽が見えますきに。