103年前の今日〔3900〕2013/12/19
2013年12月19日(木)降ったりやんだり
昨日は、野市での、午後1時からの酪農さんたちとの忘年会に始まり、汽車で高知へ移動して、夜も別の酪農さんたちと飲んだり、お百姓さんたちと飲んだりして、日付が変わる頃まで飲みよりました。いったいこったい何時間飲みゆうことやら。これも高知の年の瀬。
そんな訳で、今朝は、朝一番の空港バスに乗って出勤しました。一番のバスは、6時前に出るので、結構便利。
空港バスで出勤したときは、高知大学農学部前で下車して、20分ほど会社まで歩くがですが、今日はバスが到着する時分になると、雨。本降り。傘がない。
仕方ないので空港までやって来て、時間を過ごしよります。事務員さんの出勤時間になったら迎えに来てもらおう。
空港バス。
昔、高知空港がジェット化されてなかった時代は、確か、飛行機の出発時間に合わせてはりまや橋を出よりました。1時間くらい前やったと思います。当時の高知空港は、小さい、バスターミナルみたいな雰囲気の建物。ジェット化されて、今の空港ビルができたときはビックリしました。
ところで今日は12月19日。今から103年前の今日、日本人が、日本で、初めて飛行機で飛んだのであります。以前、その飛行現場である代々木公園から、その時の詳細をご紹介したことがあります。飛んだのは2人。徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉。
彼ら二人は、その年に欧州へ派遣されて飛行機操縦技術を習得、そして、大観衆が見守る中の初飛行となった訳です。まだ、ライト兄弟が初めて空を飛んでから7年しかたってない、飛行機黎明期。
ホントは、12月14日が、初飛行の日になる予定でした。
しかし、エンジン不調やら何やらかにやらで、飛ばず、大観衆をがっかりさせます。
その後、連日、今日は飛ぶか、今日は飛ぶか、と期待させながら飛ばんかったので、当然ですけんど観客も減っていったにかありません。そんな12月19日。
もう、メッソ期待しちょらんかった観衆の前で、徳川大尉は4分間、日野大尉は1分間の飛行を成功させ、ここに、日本の飛行機の歴史は始まったのでありました。まあ、命掛けですよね、これは。
高知に初めてできた飛行場は、何度もご紹介した、浦戸湾。高知新聞社さんが、水上飛行機の基地をつくったがに始まります。
朝倉の、練兵場のところにつくろう、てな計画もあったにかありませんが、広さに問題があって、結局浦戸湾に水上飛行機、ということになったようです。
その後、太平洋戦争後半になって、この、高知空港の場所に海軍が飛行場を建設し、それが今の高知空港になっちゅう訳です。
ニッポンの空を飛行機が4分間だけ飛んで喝采を浴びたのは、ほんの103年前。ライト兄弟が飛んだのは、ほんの110年前。
ここ高知空港から大阪への定期便が開設されたのは、ほんの59年前で、東京便は48年前。
で、新しい空港ビルが完成してジェット機が飛び始めたのは、ほんの30年前。
ん?
もう、30年になるのか。小生が大学を卒業する頃でした。ほんのこないだのような気がしますが、もう、30年前。それまでは、東京へ行き来するのはYS-11で、2時間かかりよりましたよね。懐かしい。
ライト兄弟から110年で、高知空港ジェット化から30年。なるほど。世の中はどんどんと変化してゆき、昔のことは、どんどんと歴史になっていきます。