セミとは?〔3756〕2013/07/28
2013年7月28日(日)薄曇り
今日は高知。曇っちょりますが、雨は降りません。ちくと蒸せる日曜日。
ここはいつもの野市、上岡八幡宮さん。拝殿前、石段の上から参道方向を撮影してみました。午前9時頃。
写真には音は写りませんが、この鎮守の森、セミの大合唱。クマゼミですな。結構、凄まじいくらいの蝉時雨が、森の中を埋め尽くしちょります。
いつも、ここへやってくるのは朝の4時半頃。まだ、夜明け前。その時間帯は、この境内も静かなもんです。小さな虫の声がちょっとだけしますが、あとは静まりかえっちょります。雨が降った後とかには、物部川から川の音が聞こえてくるばかり。
セミ、何時くらいから鳴き始めるがでしょうか。それまでは寝ゆうがでしょうか。昆虫が睡眠をとるがかどうか知りませんが、間違いなく、静かに動かない時間帯と、活発に活動しゆう時間帯がありますよね。
で、クマゼミは、夜が明けると同時に、おもいきり鳴き始めます。雨が降りよったら、メッソ鳴きません。夜明けとともに鳴き始めるのは何故でしょうか。気になりますね〜。しかも、お昼を過ぎると、メッソ鳴かないクマゼミ。
鳴くのは、ほとんど、雄のセミということを聞いたことがあります。と。いうことは、素人の小生が妄想しますに、繁殖活動とこじゃんと密接に関係するがですね。夜は、繁殖活動には都合が悪いがでしょう、たぶん。雨が降っても、繁殖活動に都合が悪いがかも知れません。羽が濡れて、こすり合わせても音がせんだけかも知れませんが。
とにかくセミ、何年も何年も土の中で生活し、その最後に、数日間だけ地上に出てきて成虫になり、繁殖活動を行って、生涯を終える。地上で見るセミは、その人生と申しましょうかセミ生の最後の最後、繁殖活動をするために出てきた、その姿なのでありましょう。で、最も効率良く繁殖活動をする為に、時間を決めて鳴き、あとは静かにしちゅうがかも知れません。
そうそう。以前にも書いたことがありますが、セミにとって、その一生とは何なのか、という哲学的考察をしてみたことがあります。つまり。
よく、その生涯の最後の数日間だけを地上で「謳歌」する、てな話を聞きます。果たしてそうなのか。我々人間の価値観で言えば、それまで、地面の下で長い長い年月を耐え忍び、やっとこさ地上に出て来て外の生活を楽しみ、そしてアッと言う間に死んでいく、というふうに捉えてしまう。しかしそうなのでありましょうか。
この、セミの大合唱を聴きよりますと、これは、まさしく繁殖行動であり、自分の遺伝子を後世に伝えて行く行為。
つまりですね、セミの、本当の姿は、地面の中の幼虫なのではないか。あれこそ、彼ら彼女らの、生きている姿。あれこそ「セミ」。で、その生涯の最後に、子孫を残していくためだけに地上に這い出し、空を飛び、繁殖行動をする。そして子孫を残し、死んで行く。こう考えたら、自然への見方が変わってくるような気がしますよね。
長い長い年月、地下で、地上に出る日のことを夢見て耐え忍びゆうのではなく、地下で、あの姿で生活することが、セミの生活そのものである、という考え方。別に、耐え忍びゆう訳でもなんでもない。
価値観というものは人それぞれで、生物それぞれ。勝手に、自分の価値観だけで判断すると、とてつもない間違いを犯してしまうような気がするのでありました。
やかましいくらいのセミの声の中、へんてこりんな妄想を暴走させる、夏の朝。暑いですきんねえ。