3本目の水丁場標柱〔364〕2004/04/14
2004年4月14日(水)小雨
今朝は小雨がぱらつきよります。その雨の中、二日酔いの身体にむち打って鏡川沿いを走ってきました。いつものことながら、最初の数分はとてもきついんですが、汗が出だす頃には気持ちよくなり、途中からとても快調になります。また、雨に濡れながら走るのが気持ちえいんです。ホントですよ。
さてさて、今朝の写真は、鏡川の「柳原橋」のすぐ上手にある「水丁場標柱」。
このにっこりひまわりでもご紹介した、江戸時代の水防組織の分担地域を区分する標柱です。にっこり[40]では四ノ丁場と六ノ丁場の境目の標柱、[348]では一ノ丁場と二ノ丁場の境目の標柱を撮影しました。この水防組織については、[348]に詳しく書いちょりますのでそちらをご参照くださいね。
んで、この鏡川北岸を、城下町を水害から守るために11の区域に分けて水防組織をつくっちょった訳で、このような標柱が区域の境目、つまり10カ所に建てられちょったがですね。計算できます?
現在その姿が残っちょりますのが3本。そのうち2本はご紹介しましたので、今日は残る1本をご紹介しましょう。六ノ丁場と七ノ丁場の境目の標柱でございます。
石柱の東面には「従是(これより)西六ノ丁場」と刻まれ、東面には「従是東七ノ丁場」と刻まれちょります。現存する3本のうち、鏡川の水面が見える位置に残っちゅうがはこの標柱だけです。江戸時代の堤防の高さがよく判りますね。
この標柱の東側は大きな忠霊塔。今年も桜が見事でした。西側にはにっこり[43]でもご紹介したフランクチャムピオンの記念碑が美しく屹立しちょります。