ひらけ!勝鬨橋〔3565〕2013/01/18
2013年1月18日(金)東京は晴れ!
と、いう訳で、今朝は東京。昨日の飛行機で飛んできました。冷やいです、東京。こないだうち降った大雪が、まだ、道路脇に積み上がっちょりまして、冷やさを増幅させます。
汐留に泊まっちょりましたので、今朝は、築地から勝鬨橋、月島、佃島界隈をたつくりに行ってきました。
築地の朝は、相変わらずの賑わい。ああいう活気を見ると、元気がでてきます。市場に鎮座まします波除稲荷神社さんにお参り。この境内には、市場ゆかりの塚がたくさん。玉子塚、海老塚、すし塚、鮟鱇塚、活魚塚。外国人さんも多い築地。
そっからしゅっとのところ、隅田川に架かるのが勝鬨橋。かちどき橋。この名称からもわかるように、この橋が完成したのは昭和15年。と、いうより、皇紀2600年というたほうがわかりよいでしょうか。その年に、月島で開催する予定で、結局開催されんかった幻の万博会場へのアクセス橋。時代背景もあって、国産技術だっけでつくられたそうでございます。
特徴は、なんと言うたち「可動橋」。写真をご覧下さい。橋の途中、四角い建物と四角い建物の間に挟まれちゅう部分が、真ん中から割れて、上に開くようになっちゅう訳です。この橋、都電の電車も走りよったと言います。
この上流の倉庫群に物資を輸送する船が、その、開いた時間帯に川を通行しよりました。1回20分、一日5回、開きよったそうです。すごい。見てみたかった。
昭和28年以降、回数は減少、佃大橋が開通した昭和39年以降は、橋を開けて通湖する必要があった企業は1社だけ。
そんな訳で、昭和42年に最後の運行用の開閉が行われ、その後は試験用の開閉だけになり、昭和45年、遂に、最終の開閉。その後、電力の供給も止められ、動くことはなくなりました。
ミステリ作家、島田荘司さんの小説に、「ひらけ!勝鬨橋」という佳作があります。老人ホーム住まいの高齢者たちが、昔鳴らしたドライビングテクニックで悪に勝つ、不思議な物語でしたが、その中で、勝鬨橋が開く場面がでてきます。
そう。今は、ロックされ、電気供給もないので動くかん訳ですが、キチンと整備したら動くがにかありません。試算では10億円かかる、とか言われますが。そんなにかけいでも、何か、うまい動かし方がありそうな気もしますけんどね。見てみたいです、ホントに。
この向こうが月島。月島に渡り、隅田川沿いに北上すると佃島。この界隈、ウォーターフロントとか言われて開発が進み、超高層のビルが建ち並ぶエリアになりました。が、佃島。
奇蹟のように、その一角だっけ、昔の町並みがそのっま残り、住吉神社さんが鎮座ましまして地元の尊崇を集めよります。ホッとする風景、佃島。狭い路地とゴチャゴチャした町並み。いつまでも残してもらいたい風景。
佃大橋を渡り、また、築地を通って帰ってきました。
しかし。
道路沿いに密集したお店屋さんからイイ匂い。歩道に面した、オープンスペースが客席になった食堂群。マグロ丼、ラーメン、おそば、寿司屋、カレー屋などなど。築地で働く皆さんや観光客さんが、朝っぱらから美味しそうなのを食べよりました。その中の一軒、「きつねや」という、ホルモン煮をメインにした小さなお店の前から動けんなってしまいました。なんというコッテリした香り。
仕方ないので、ホルモン煮とご飯とおしんこと、頼んでしまいました。期せずして朝食。寒い風が吹く歩道ですが、ホルモン煮があつあつで、身体が温もります。後ろを通行する人も、この匂いと美味しそうな姿に引き留められ、しばし口を開けていきます。ホントにおいしゅうございました。
今日の東京のお仕事に、活力を供給しまくってきた朝RUNでした。