高知の痕跡の旅〔3417〕2012/08/23
2012年8月23日(木)晴れ!
昨日の朝、高知はエラい雷やったみたいです。松山はあんなに静かやったというのに。今朝の高知は、割合におだやか。夏の日差しが照りつけよります。例によって、夜中に雨は降っちょりますが。
さて、昨日、道後鉄道の軌道の痕跡カーブをご紹介しましたので、今朝は土電の安芸線の痕跡。昨日のは、汽車の軌道の痕跡とはなかなか気付かないような場所でしたが、今日のはすっかりそのままの雰囲気が残ります。手結の、海辺の果樹園様というホテル入り口の下を抜けるトンネル。現在はサイクリングロード。
昭和49年まで、安芸と高知を結ぶ電車として便利に便利に利用されよった土電の安芸線。元々、昭和5年に全通しちょりますが、昨日の道後鉄道と同じように、当初は汽車。電化されたがは結構遅うて、戦後の昭和24年やそうです。
このトンネルの壁には、架線を引いた痕跡の部品がずうっと付いたまんまになっちょって、往時を偲ばせてくれます。
鉄道の軌道で、見事な痕跡をみせてくれるのは、2010年9月20にご紹介した、田野町の森林鉄道の軌道痕跡。ここも、カーブが鉄道軌道っぽくて良い痕跡。
土電の痕跡としては、潮江橋北詰から西へゆるやかに下るスロープでしょうか。これは、ひまわり太郎しか気付いてないと思われる痕跡。
高知の城下町の痕跡としては、一番有名ながは大丸北側の「つちばし」裏の盛り上がり。郭中と下町の境目の痕跡。良い痕跡です。
もうひとつ、城下町の痕跡としては、中島町の池の痕跡があります。そこは、数百年前の鏡川蛇行の痕跡でもある、複合痕跡。
そうそう、川の痕跡と言えば、高知市北部の久万川。あの川は、今よりもっと蛇行しちょったの直線にする工事が行われちゅうがです。昭和になってから。その、蛇行の痕跡を、今でもみることができます。
高知の城下町ではなく、その前、長宗我部氏の岡豊城の城下町の痕跡は、今、田んぼになっちょりますが、その区画がはっきりと残ります。
さて、次は映画館の痕跡。なんと言うたち菜園場劇場でしょう。今でも、映画館であることがわかる、素晴らしい痕跡。今は民間の駐車場として利用されよります。
かわったところでは、南高校の運動場の西側。あそこは、南高校ができるまで競馬場でしたが、その競馬場のコーナーの痕跡が、運動場と道路の形状になって残っちゅうがです。これもあまり知られてないが、貴重な痕跡。
と、まあ、高知にもたくさんの素敵な痕跡があります。皆さんも、楽しんでみてください。小生が、潮江橋北詰から西へゆるやかに下るスロープを発見したように、ひょっとしたらすごい痕跡を見つけれるかも知れんですきに。