南国市前浜の避難タワーと切戸〔2943〕2011/05/07
2011年5月7日(土)曇り
ここは南国市前浜。まえのはまと読みます。こないだ、4月16日のにっこりでご紹介した久枝の避難施設から西へ数百メートルの海岸。今年度、ここに、津波対策の避難タワーが建設されるがやそうですね。で、今回の震災をうけて、その避難タワーの構造とか高さとかを見直す、というニュースをやりよりました。そうでしょうね。4月16日ご紹介の久枝の施設を見てもわかります通り、現在の規模想定が、安政地震津波程度ということですきに、無理がありそうです。宝永以上のものがきても役に立つものにせんと意味ないです。
たぶん、避難タワーができるがはこの界隈。このしゅっと東に、昨年10月14日にご紹介した「切戸」があります。文化12年(1815年)の大洪水で氾濫した物部川は、南西の琴平山にぶつかって東へ逆流、この界隈の堤を200m程破って海に流れ込んだので「切戸」。今は後川の放水路ができて大きな水門があります。この地点が、海岸で一番低い場所でしょうきに、津波はこっから入ってくることが予想されます。で、久枝からも前浜からも逃げて来れる距離のこの地点に避難タワーをつくる、という発想はわかります。10mを超える規模を想定し、また、避難場所まで歩くことを想定して、もう少し西にも避難タワーが欲しいですし、久枝の避難所ももうちょっと高い広い頑丈なものにして欲しいところ。
こないだも書きましたが、安政地震津波は、「寅の大変」と呼ばれました。そして、切戸が抜けた大洪水は「亥の大変」と呼ばれます。「亥の大変」と言えば、宝永地震も「亥の大変」でした。大洪水の108年前。「亥」はやばいかも知れません。
ところで、今朝、この前浜界隈を自転車でたつくりよって、懐かしさに包まれました。前浜は、中学高校時代からの友人が何人か住みよった所。今でも住みゆうやつも居りまして、その表札や、実家の会社を見たりしたもんで、懐かしゅうなった訳です。当時、市内の学校に、ここ前浜から通うて来よった連中は、皆、元気いっぱいの個性派揃いで「前浜軍団」とも呼ばれよりました。学年の垣根を超えて仲良かったですね、前浜軍団。今でも仲良うさいてもらいよります。
今回の避難タワーは、前浜軍団も利用することになるでしょう。頼りになる整備が急がれます。