大日寺、奥の院の幽玄〔2831〕2011/01/15
2011年1月15日(土)曇っちょります
高知へモンちょります。今朝の冷え込みは、メッソなことはございませんでした。が、しかし、今からどんどんと冷え込むがにかありません。明日の朝の予想最低気温は-5℃という、高知では滅多にお目にかかれん数字になっちょりますな。大変です。
さて、ここは現香南市野市の、大日寺奥の院。大日寺さんにつきましては、2009年9月2日とか11日とかにご紹介しちゅう、四国霊場第28番札所の名刹。行基上人開基で、弘法大師が中興といわれます。毎日、たくさんの巡礼が訪れる大日寺。
長宗我部氏や山内氏から尊崇され、厚い保護を受けた大日寺さんですが、あの明治維新の暴挙、廃仏毀釈の嵐のなかで明治4年に一旦廃寺となり、明治17年にやっと復興しちょります。ガイなことするもんですな、まっこと。
その大日寺本堂前から、150m程山の方へ山道を歩いていきますと、ここ、奥の院がございます。いかがでしょうか、この幽玄な雰囲気。
この奥の院は、弘法大師が楠の大木に刻まれた薬師如来を本尊としたそうです。今はその楠も枯れて、刻まれた薬師如来さんも見えませんが、その枯れ木が爪彫り薬師として現存し、首から上のご病気に霊験あらたかと言われちょります。
手前に見えるのは、弘法大師のご加持水として昔から尊ばれてきた霊水。飲めば健康になるということですきに、今朝はちくと飲んできました。
ところで、大日寺さん本堂脇を奥へ行くと、石段の上に、日吉神社さんが祀られちょります。今は日吉神社さんですが、以前は山王権現さんとして祀られちょりました。このように、大きなお寺さんには必ず権現さんとか神社とかが併設されちょります。これは、藩政期までの、神仏習合のニッポン人の宗教観、習俗が現れちゅうがですね。
明治になって、国家神道によってちっくと歪められた現在の姿は、実は、藩政期までの実際の姿とは違うことを、わかっちょらんといけません。実際は、もっと混沌としちょりました。