高見山の山羊、登山道、墓参道、戦略道〔2656〕2010/07/24
2010年7月24日(土)あづい!
しかしまあ暑いですな、こりゃ。牛乳も売れよります。夏は暑いがが一番!
てな訳で、今日は久々に筆山から高見山方面をたつくりに行っちょりました。日陰の無い、直射日光浴びまくりの川沿いコースは避け、ちょっとでも日陰の多い山中コース。ですけんど、やっぱし暑いです。意識が薄れていく感じがちょっと怖いくらいの暑さ。
しかしこんな猛暑の中でも山歩きに来ちゅう方がぼちぼちいらっしゃいます。結構ご高齢の皆さんばかり。エライもんですね。すれ違う時や追い越すときの挨拶が「しかし暑いですね!」でした。
高見山は、山の西斜面から南斜面、そして南東斜面にかけては樹木が生えちょらず、草とお墓ばかりの山。びっしりギッチリ定期的に山火事になって焼けてしまうきですな。しかし、北東から北側の斜面にかけては結構緑が濃うなっちょります。ここは高見山の北東斜面。筆山から鷲尾山方面へ行く山道は、高見山の北側で何本かの道に別れます。どれを行ってもライオン岩の所で一緒になるがですが、ここは一番左側の径。あまりヒトの通らない径。この途中に、ご覧の通り、何度かご紹介した構築物跡があります。この右手の錆びた茶色い構築物はサイロ。この向こうには水場や作業場跡らしきものも残っちょります。昔、ここでは山羊を飼いよりましたですよね。子供の頃、頻繁に鷲尾山へ登りに行きよりましたが、当時はここで山羊を飼いよりました。住居は無かったように記憶しちょりますがどうやったでしょうか。毎日ここまで仕事に登って来るがは大変やねえ、と勝手に思いよりました。
しかし、このサイロといい、何となく異国情緒のある不思議な空間と感じちょったことを思い出します。分岐路から、左から2番目のコースを行くと、途中に十字架のお墓がたくさんあり、それも高知ではこじゃんと珍しかったので、不思議な雰囲気でした。
この山道は今は登山か墓参でしか使われんでしょうが、その昔はこの道を通って長浜や春野方面へ行ったりもしよったでしょうね。戦国後期、長浜までを勢力圏に入れちょった本山氏は、筆山にも城を構え、この連山一帯を押さえちょりました。しかし、元親初陣と言われる長浜の合戦で長浜の城、平野のみならず、筆山も一気に陥されて、この界隈を含む鷲尾連山のかなりの部分を長宗我部氏にとられてしもうた訳です。一気に筆山を狙うたがは若き元親くんの決断やったと言われます。この連山の価値がようわかっちょったがやと思います。