潮江用水探検隊〔2517〕2010/03/07
2010年3月7日(日)曇っちょりますね
今日は、このHPに以前ご投稿頂いた潮江雪太郎さんに、潮江用水をご案内してもろうて来ました。いや、なかなか楽しかったです。潮江新田で葉もの野菜をつくっておられる雪太郎さんは、こだわりの野菜づくりで、高知の料理屋さんや都会の百貨店、高質量販に出荷されゆう素晴らしい農家の方でした。
で、用水がどっから始まっちゅうとか、どこで暗渠になっちゅうとか、どこで海に出ちゅうとか、懇切丁寧に現地で説明くて下さったのであります。
潮江の田畑を潤してきた潮江用水は、神田川の、土佐道路石立十字路からちょっと南東へ行ったところから始まります。
空気式の堰から神田川の水をポンプアップして豊かな水を流しよりました。雪太郎さんのお話では、神田川は昔から非常に水量の安定した川で、水が涸れたことが無いそうです。で、潮江用水も、水が少のうて苦労した、ということは記憶にないそうです。なるほど。
で、神田川から分かれた用水は、鷲尾山の方から流れてくる吉野川の下をくぐり、この写真の場所へ出てきて東へ流れ、土佐道路の下を暗渠で通って、潮江天満宮の西側へと出てきます。いつもの大山祇神社の西側の水路がそれですな。
ここが、吉野川の下を抜けてつながるようになった工事の竣工を記念してでしょうか、このように記念碑が建てられちょります。土地改良区さんが建立したもので、この改良工事は昭和27年から32年まで、何と5年もかかっちょります。そのおかげで、河ノ瀬界隈や、潮江界隈の農地が豊に潤うた訳ですね。
潮江天満宮境内を抜けた水路は、新田方面へとどんどん流れます。そして、潮江東小学校の西方で完全に暗渠になり、圧力ポンプで潮江地区の農地に用水を行き渡らせる仕組みになっちゅうそうです。勉強になりました。最後は、南高校の近くで高知港へと出て行く潮江用水の仕組み、よくわかりました。水路は、以前に比べたらだいぶキレイになったそうです。生活排水がキレイになってきたということ。で、掃除もずいぶんと楽にはなってきたそうですけんど、やっぱし大変ですよね。
土佐道路の下の長い暗渠は、定期的に入っていって、点検せんといかんなっちゅうそうですきにオオゴト。
農業を営むということ、ものをつくるということは、ホントに大勢の皆さんの、大変な苦労の上に成り立っちゅうということを忘れたらいかんですね。雪太郎さん、いつも、ありがとうございます。