農人町の巨大な倉庫〔2480〕2010/01/29
2010年1月29日(金)快晴!
ここはひまわり太郎の家の近く。堀川北岸の農人町。藩政期初期の寛永2年(1625年)、藩が下知村に外堤をつくり、その内側を御手先農民に耕作させて、その農民たちの住む長屋をここに建てたので農人町。その後、足軽組が移住してきたり、職人が住んだりして幕末を迎えます。
ここは高知の物流の玄関口、堀川沿い。で、明治からこっち、物流関係のお店とか卸商関係のお店とか、船舶関係のお店とかがずらり並んだがが農人町。
つまり、農人町に農民が住んだ時期は、藩政期でも初めの方の期間だっけ。あとは足軽町であり職人町であり、その後は流通センターとなったのでありました。
堀川北岸の農人町、戦争で焼けんかったようで、今でも古い古いオモムキ深い建物が残っちょりますね。写真はそのなかのひとつ、土佐倉庫さん。
昭和2年に建てられたというこの土佐倉庫さんの倉庫、実に存在感があります。下に自動販売機が写っちょりますき、この建物の大きさがご想像いただけると思います。上部の半分がトタン板で覆われてしもうたので、ちくとノッペリしてしまいましたが、下の丸い大きな柱やエントランス部分が実に立派。残していきたい構築物ですな。
高知の街中は、戦争でほとんど焼けてしまいました。もちろんどっしこあった映画館も。そこで、焼け残ったこの倉庫の上を改装して映画館として営業したそうです。以前は映画館の頃の映画会社マークの痕跡とかも残っちょりましたが今はちくと見当たりません。洋画専門の映画館やったようで、ご近所の古い方に聞いたらよう知っちょりました。考えたもんですね、倉庫の上を映画館とか。
建物のつくりも頑丈で広いスペースがある建物、ということで誰かが考え出したがでしょう。えらい。