空港滑走路端の吉川村〔2458〕2010/01/07
2009年1月7日(木)晴れ!
冷えますが晴れちょります。良いお天気が続く2010年。
今朝は、高知空港界隈をたつくってみました。空港の滑走路は、北西から南東にかけて延びちょります。ここはその南東の端。ここで真上を見上げると、こないだ12月17日のような風景が見れる訳です。飛行機はちょうどここへ向かって走ってくるか、反対にこの頭上から着陸していくか。今朝はまだ夜明け前で、飛行機も飛び始めちゃあしません。が、空港はカラフルな灯りが輝いて美しゅうございます。
この南東端ポイントにはこのようにDゲートという普段は開かないゲートがあります。
そして、そのゲートを挟んで「吉川村」という看板と「南国市」という看板が掲げられちゅうがをご存じでしょうか。
そう。ここは南国市と吉川村、今では香南市の境界なのであります。丁度滑走路の端っこで分かれちゅうがですな。それではDゲートはどっちに所属するがでしょう。
それはさておき、ここは物部川西岸。普通、吉川村(香南市)は物部川の東側という常識があります。しかし、一部分、ここ西側にもせり出して来ちゅうという証拠写真がこれ。どうしてなんでしょうか。
ちなみに、ひまわり乳業新本社が、物部川西岸にあるにもかかわらず物部川東岸の上岡八幡宮を氏神様とする、というお話をビッシリしよりますが、これは、昔の物部川の河道がもっと西やった為。それではここが吉川村(香南市)であるのも、同じ理由ながでしょうか。中世の頃の物部川は、何度かご紹介した細川氏の守護屋敷の東側を流れよりました。南国バイパスで言うたら、歩道橋のある田村の交差点から南へ行った、滑走路をくぐるトンネルの北側。あそこに室町時代の土佐の守護屋敷があり、それは物部川の西岸しゅっとの場所にあった訳です。その当時、この場所は物部川本流の東岸にあった訳で、今の物部川東岸の香南市は同じ集落やったがかも知れません。