目白、都電、巣鴨プリズン、鬼子母神、田中邸〔2081〕2008/12/26
2008年12月26日(金)快晴!
東京も晴れ。ですけんど、風は結構冷やいです。
今朝は、目白から鬼子母神界隈をたつくってみました。ここは、都電荒川線に架かる目白通りの橋の上。ここから池袋方面を撮影しちょります。
向こうに見える高いビルはサンシャイン60でしょう。つまり、あの界隈に巣鴨プリズンがあったという訳です。
一昨日の夜、太平洋戦争開戦のいきさつについて、東条英機にスポットを当ててやりよりました。
ビートたけしさんが東条英機役で、なかなか興味深い内容やったですね。その東条英機が東京裁判で裁かれたががあのサンシャインの場所にあった巣鴨プリズン。精神状態がおかしかった大川周明に、後ろからパコンと叩かれたがも巣鴨プリズン。忘れたらいかん歴史の遺構として、一部でも残しちょってもらいたかったですな。
ここから明治通りをちくと北へ行って東に入ったクに、雑司ヶ谷の鬼子母神があります。安産、子育ての神様で、特に江戸時代にはこぢゃんと信仰をあつめた鬼子母神。おそれ入谷の鬼子母神は、入谷ですきにここぢゃありませんね。
鬼子母神の境内には享保とか宝暦の立派な灯籠があり、拝殿も1700年頃につくられたものということで、こぢゃんと由緒ありげな、それでおって庶民的な雰囲気。樹高30m、幹周8mという巨大な銀杏の木がすごいですね、1400年頃に植えられたらしいですき、600年の樹齢の巨木。
ここから目白通りを東へ走ると、左手に日本女子大が現れます。その向かいに田中さんちが。昔、ひまわり太郎が東京に住みよったがは中曽根内閣の頃。創世会が結成される前で、田中角栄さんが目白の闇将軍として君臨しちょりました。一度、目白の田中御殿を見に来たことがありましたが、あの当時はたまげる程の広大なお屋敷やったですね。今朝も見に行ってみましたが、「田中」という大きな表札が目立ちますが、広さはだいぶこぢんまりしちゅうみたいでした。まあ、普通よりは遙かにこぢゃんとデカいですけんど。