潮江橋はうしおえばし〔2045〕2008/11/20
2008年11月20日(木)快晴!
今朝も冷え込んだ高知市内。冬みたいですね。
ここは潮江橋南詰。この立派な橋は、昭和56年4月に竣工しちょります。ひまわり太郎が高校生の頃は、まだ以前の橋で、歩道の橋が東西に別にありましたですね。
で、この橋、「うしおえばし」でございます。欄干の文字を読んでみましたが、こぢゃんとコウベった文字で、何と書いちゅうか読めません。どうやら「う志ほ江ばし」と書いちゅうみたいにも見えますけんど、ようわからんです。そこで橋の車道の方を見てみますと、ありました。「潮江橋」と書かれた標識が。
その標識には、漢字の下にアルファベット表記で「Ushioebashi Bridge」と書いちゃありますき、「ばし」で間違いないがでしょう。
昨日も書きましたが、ここにキチンとした橋が架けられたがは明治36年4月。高知のお街と、できたばかりの浦戸港とを結ぶ産業道路の一環として、ここに立派な橋が架けられた訳です。構造は「木鉄混合ハウ氏式構桁下路橋」という、ようわからんつくりですが、写真で見る限り、四万十の赤鉄橋みたいな雰囲気でございます。この橋の開通後、数年で土電の電車もここを渡ることになり、その鉄橋の横に並んで電車の橋も架けられちょります。
その、最初の潮江橋が架けられる2ヶ月前の2月、この上流の天神橋が撤去されちょります。以前にもこのにっこりで書きましたが、大坂金太郎さん他が経営する賃取橋になっちょった天神橋。藩政期は、山内家が菩提寺真如寺へ行くのに利用しよった天神橋ですき、民間が賃を取って、みたいなことはなかったでしょうが、明治の世になって「橋の自由化」が進み、有料橋になったがでしょう。が、ここに立派な潮江橋が架けられるがにあわせて撤去。失業した金太郎さん達のために、天神橋のあった場所での仮橋の営業は認められたと「潮江村誌」に書かれちょります。