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佐和山城址から彦根城を眺める〔4240〕2014/11/24

佐和山城址から彦根城を眺める

2014年11月24日(月)快晴!

今朝は滋賀県。彦根市。お仕事です。
南彦根でお仕事なのですが、昨夜泊ったのも南彦根。いや、当たり前ですが、実は、昨日の午後になってホテルを取ろうと最寄りのネットで調べたら、何と、京都府と滋賀県の東海道線沿線域で、南彦根の1軒だけしか空室が無かったのであります。京都は紅葉真っ盛りで連休。夥しい観光客さんが押し寄せちゅうことが判ります。それにしてもすごい。

で、南彦根のホテルから彦根城址、佐和山城址12kmランを堪能して参りました。両方とも初めて。
まずは彦根城。

いや〜、デカい。サスガ、徳川譜代の名門中の名門、井伊家が築城、本拠としただけのことはある。その城域も広く、お堀も広い。石垣も高い。天守閣もデカい。高知城と同じく、古い天守が残る彦根城ですけんど、こちらは国宝。実際に来てみますと、何故、国宝なのか理解できますな、完全に。
城下町も町並みが整備され、お堀にも遊覧船。お城を中心に、見事にまちづくりを展開しておる姿には、羨ましさを感じてしまいました。
キャラクターはもちろんひこにゃん。あちらにもひこにゃんこちらにもひこにゃん。彦根は、琵琶湖に沿う交通の便の良いところに位置し、京にも近い。昔から、超有力者が、ここを支配してきた歴史を持ちます。

で、井伊家は徳川幕府の時代を通じてここの藩主やったので、今も、地域の皆さんにとって彦根と言えば井伊家にかありません。井伊直弼は、苦労人にして悲劇のヒーロー。彦根城の下には、「花の生涯」の碑と井伊直弼像。

しかし。彦根城は、山まるごとが公園で、お堀のところの門から入場券を購入して入らんといかんなっちょります。もちろん、小生が走りゆうような時間帯は営業時間外。なので、天守の近くには行けませんでした。お堀の外から眺めるだけ。
仕方ないので、彦根のもう一つの、そして戦国期には実に重要であった城址に駆け上ってみました。もちろん佐和山城。石田三成が本拠とした城。
その城山は、かなり大きな連山になっちょって、なかなか深い。戦国期の城としては、かなり防御能力に優れちょったものと思われます。標高は諸説ありますが233mくらい。彦根市街地からの比高は145m。駆け上るにはボッチリ。

佐和山の歴史は、鎌倉時代の佐々木時綱に始まるそうです。で、六角氏、浅井氏、と、日本でも有数の有力大名が支配しました。そして、信長は、重臣の丹羽長秀を、佐和山城に配して日本統一を伺いました。同じく琵琶湖沿岸に安土城を築くまでは、その機能を佐和山城が持っておったとされます。

秀吉の時代になり、堀秀政、堀尾吉晴、と城主が変わり、そして五奉行筆頭の石田三成。秀吉が、いかにここを重要視しちょったかがよく解ります。

写真は、その、佐和山城本丸から眺めた彦根市街地と琵琶湖。眼下の山が彦根城。何という眺望でしょうか。
石田三成は、荒廃しちょった城を大改修、なかなか豪壮なお城を築いたにかありません。自分は京の伏見城に居ることが多いので、佐和山城には父の正継が住んだとか。
「治部少に 過ぎたるもの二つあり 島の左近と佐和山の城」
は、三成の活躍が妬ましい誰かが言うたもんでしょうな。

この城。関ヶ原の際、城主も主戦力の部隊も不在にも関わらず、徳川方の猛攻にかなり善戦したとされます。やはり名城であったのでありましょう。
しかし落城、石田一族が、ここで果てたのでありました。

石田三成。
その人物像は、様々な描かれ方をします。しかし、戦国の梟雄であったことは間違いない。かなりの人物であったとも言います。
徳川の世になり、井伊氏が彦根にやって来た際、石田三成の善政に住民が親しみを持っちゅうことを嫌がり、お城を佐和山から彦根城に移した、という話もあります。
家紋はご承知の通り、大一大万大吉。

井伊直弼。
やはり、様々な描かれ方をしますが、幕末の梟雄。NHK大河ドラマの第1作、「花の生涯」は。波乱万丈の井伊直弼の人生を描いたもの。今朝、走りよったら、井伊直弼が学問をした、という埋木舎の前を通りかかりました。

彦根には、強烈な個性を発散させた英雄がおりました。評価が様々に分かれる梟雄2人。
井伊直弼が大河ドラマになったのでありますから、石田三成を大河の主人公にするのも面白いと思うがですけんどね。
この佐和山城本丸から彦根城を眺めながら、歴史に思いを馳せるのでありました。良い朝です。


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