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大谷神社、大谷吉継、小早川秀秋〔4241〕2014/11/25

大谷神社、大谷吉継、小早川秀秋

2014年11月25日(火)小雨

高知へモンちょります。高知は小雨の朝。気温は高めで、暖かい朝。
雨が降ると、ここ、野市の大谷神社さんにお参りしとうなる、という話は以前にも何度か書きました。今朝も、久々にお参りしてきました。延喜式内社で、三宝山の麓の谷間に古くから鎮座まします大谷神社。鎮守の森は、雨の中、いつもながらに幽玄な雰囲気を醸し出しちょります。

大谷。
こないだのにっこり「山を歩くひとびと」で、カッタイ道の老婆の話を書きましたが、戦国武将、大谷吉継もハンセン病やったと思われます。しかし武将としては実に有能で、関ヶ原でも西軍の武将として大活躍しております。昨日の佐和山城を本拠とする石田三成方、西軍の武将。
関ヶ原
大谷吉継が奮戦し、戦の趨勢がまだわからないお昼過ぎ、松尾山布陣の西軍、小早川秀秋が東軍へ寝返り。家康の予定通り。
大谷吉継は、それを予期しており対応、小早川軍を何度も押し返したというから大したもん。敵は多勢で、しかも山の上から攻め降りてくる訳で、それを押し返す大谷軍。
しかし、秀秋寝返りに備えて配備しちょった西軍の一部が東軍に寝返って大谷軍を攻撃、大谷軍は壊滅して吉継は自害した、という関ヶ原。

そう言えば、昨日の佐和山城。
石田三成が関ヶ原で敗れ、捕縛された後、少ない兵力で城を守ったのは三成の父の正継など。そこへ、家康の命令で攻撃を仕掛けたのも小早川秀秋。秀秋軍はどうにかこうにか攻略し、石田一族は戦士か自害。

こうやって見てくると、小早川秀秋というキーマンの存在が、あの時期、実に重要であったことが分かります。
よく、関ヶ原で小早川秀秋が裏切ってなかったら、という「もしも」が話題になります。そう。関ヶ原の命運を決する裏切りであったとも言われます。
また、西軍であったはずの吉川広家が、南宮山の毛利やその後方の長宗我部軍の前身を阻み、石田軍との合流を阻止したのも大きいとも言われます。

さて、小早川秀秋。
このにっこりでも何度か書きましたが、関ヶ原の後、岡山の藩主となります。岡山城の石垣について、秀秋の築いたのは、それ以前の立派な石垣に比して雑である、といった説明板が掲げられるくらい、あまり芳しい評判がない。で、不幸が続いて2年後に死去。後継が居なかったので改易。

なにやら、老練の政治家、家康の手の上で翻弄された、という感じが否めない小早川秀秋。
その死は、関ヶ原での裏切りを憎む大谷吉継の祟りによるもの、という説もありますな。
いずれにしても、小早川秀秋は、大河ドラマの主人公にはならんかも知れませんが、実に興味深い人物ではあります。

大河ドラマと言えば。
昨日の朝。早朝にも関わらず、佐和山城の山には、若いおにいちゃん二人連れが登っておりました。こんなに早い時間に珍しい、と思いよりました。二人は、地図のようなものを見ながら、史跡を確認しつつ歩いておったのです。若いのに関心関心。
その後、FB情報で、どうやら前夜の大河ドラマ「軍師官兵衛」で、佐和山城のことが紹介されよったということが判明。それで納得しました。
それにしても、大河でやった翌朝、それを知らずに佐和山城を探索しちゅう小生も、何かを持っちゅうかも知れません。


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