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安楽寺、善楽寺、廃仏毀釈〔4239〕2014/11/23

安楽寺、善楽寺、廃仏毀釈

2014年11月24日(日)晴れ!

昨夜は長野、新潟で地震があったようです。震度6弱というのは、かなりの揺れ。被害も出ているようで、心よりお見舞い申し上げます。日本列島は常に大自然の脅威にさらされている、ということを思い出させてくれます。

さて。
ここは今朝の比島。高知市比島。比島と言うと、山の裾のクネクネした、しかし交通量の多い道を思い出します。南国バイパスや大津バイパスができる前、まぎれもなく高知の生命線であった道。国道32号線は、比島の山裾を通る道でした。

いつしか国道はバイパスの方になり、交通量は以前ほどではなくなりました。そして、高知駅周辺の再開発。大きな南北の道路が完成し、山裾クネクネは「旧道」ということになって、車も少ない静かな道になりました。今朝はその旧道。
以前もご紹介しましたが、その道の途中にY字路。

国道32号線になる以前も、この道は、土佐北街道、土佐東街道でありました。高知の城下から土佐東部や瀬戸内方面へ行くには、山田橋から北上してここを通るルート。明治になっても、高知で一番主要な道の一つであったことは間違いございません。
そんな道のY字路に立つ遍路石。ここに遍路石が立っちゅうのには、複雑に絡み合うた理由があるのでありますね。今一度その理由をオサライしてみましょう。

元々、四国八十八ヶ所霊場の札所は、29番の国分寺の次が30番の善楽寺でした。南国市国分の国分寺から、一宮の善楽寺。ところが。
明治維新となり、何やら神がかった連中が、廃仏毀釈運動を始めます。元々、幕府を倒す方便でもあった尊皇思想が天照大神の国家神道思想と結びつき、仏教なんぞはケシカラン、などと言い出した輩がおった訳です。廃仏毀釈は、法律とか決まりとかいったものではなくて運動。
長州を中心とした藩閥政府の威を借りて、日本各地のお寺さんを廃する方向へと持っていった廃仏毀釈。

土佐でも、竹林寺さんなど、各地の名刹が廃されたり縮小されたり。30番善楽寺も廃されてしまいました。
明治8年になり、洞ケ島の安楽寺が、廃仏毀釈から逸早く復興。檀家さんに有力者が多かったがでしょうね。で、廃された善楽寺の替わりに、安楽寺さんが30番札所となった訳です。ご本尊の阿弥陀如来像を遷座してきて。

この写真の遍路石。明治二十年と刻まれちょりますので、まぎれもなく、安楽寺さんが札所であった時代の証拠物件なのでありますね。

そして昭和5年。善楽寺はやっと再興しました。そして、30番札所であることを主張。爾来、60年間の論争が行われ、平成6年になって善楽寺が30番札所、安楽寺が「本尊安置霊場」の奥の院、ということに決着した、という顛末。
それまでの60年間は、お遍路さん、両方をお参りすることが多かったにかありません。四国89ヶ所になっちょった訳だ。

四国霊場1200年、と言います。様々な地域に、様々な巡礼がありますが、お四国は、最もポピュラーなもの。歩き遍路も増え、各地の札所には朝から沢山の善男善女が訪れております。札所であるのとないのとでは、全然違うでしょうね。まあ、安楽寺さんは、檀家さんも多く、奥の院になってからもこじゃんと賑わっておられますが。

それにしても廃仏毀釈。政治と思想が結びつき、後世に考えたらとんでもない愚行が、その時その現場ではポピュリズムに乗ってしまう、という例証を、我々に与えてくれます。
大局を見る。将来を見る。時代の空気に流されない。目先に惑わされない。広い心を持つ。
そんなことの大切さを、この遍路石は教えてくれゆうのかも知れません。


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