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伊達野、介良野、介良のえらいて〔4216〕2014/10/31

伊達野、介良野、介良のえらいて

2014年10月31日(金)薄曇り

今日で10月もおしまい。今年も残り少なくなって参りました。
昨夜は久々に会社から走って帰宅。珍しく、夜の会合が無かったのでありますね。ホントに走りやすい季節になりました。走り始めは身体が重いと感じても、徐々に軽くなってきて、10km過ぎぐらいになると一番スピードが乗ってきます。自分の感覚としてはビュンビュン。ハタから見よったらそうは見えんかも知れませんが。自分としてはビュンビュン。

昨夜通ったルートは、南国バイパスのちょっと南。県道243号線。県道ですが、農道のような風情で、田んぼの中を走る道。夜になると真っ暗ですが、車もメッソ通らんので、走りやすい道。信号もないので快適なのであります。
県道243号線を西へ走り、中野団地と介良富士の間を通って介良の街を抜け、本江田橋のところから少し南へ下って田んぼ道へ出ます。で、田んぼ道を五台山の麓まで。五台山麓を西進し、青柳橋を渡って高知の街へ。
このルート、青柳橋に至るまでに、信号機、5機しかありません。走るのにボッチリ。

で、今朝は、同じルートを逆に、自転車で出勤してきました。自転車で走っても快適な道。
写真は、南国市伊達野から介良富士、鉢伏山、潮見台団地方面を撮影したもの。今朝、4時半頃。山の向こうの空が明るいのは、高知市の市街地の灯り。実際は真っ暗な風景。
伊達野。いたちの、と読みます。南国市伊達野ですが、かつて、介良村伊達野、という地名もありますので、現在の高知市介良にも伊達野は広がっちゅうがかも知れません。
伊達野の西が介良野。その西に、宮の谷や北島、白水などの古い集落が続きます。
明治41年に合併するまで、介良尋常小学校と介良野尋常小学校があった、ということです。

手元に、「介良のえらいて」という本があります。介良出身で、日本経済新聞社に奉職されちょった鍋島高明さんという方が書かれた本。土佐の経済人について高知新聞に連載されたりもした、郷土史家でもあります。土佐史談会の会合でご一緒したご縁で、出版された本を送ってくださるようになっちょります。

その「介良のえらいて」には、介良出身の偉人や介良の歴史を、こじゃんとわかりやすく解説してくれちちゅうがです。これはなかなか面白い。地域のヒトを、地域の目線で顕彰する。これは、興味深い取り組みですね。県下的に有名でなくても、すごい人物がおります。

このにっこりでも、介良野出身で北海道開拓のリーダー、澤本楠弥さんの生家をご紹介したことがありますが、他にもいっぱい居りますね〜。鈴木商店、金子直吉の部下で四天王の一人と謳われた窪田駒吉さんも、介良野出身でした。
介良野という狭いエリアでも、沢山の偉人。経済人や政治家もいっぱいおりますが、今日は、ちょっとマニアな視点から、ご紹介してみましょう。
明治4年に介良野で生まれた北村金恵さんという人物がおります。かなえさんですが、男性。「正垣」というシコ名で土佐相撲の大関を張り、近郷近在無敵と言われた人物。「介良のえらいて」にかかれちゅう逸話をご紹介しますと、長浜の相撲大会で米3俵を賞品にもらい、1俵を口にくわえ、左右の手に1俵づつ持って土俵を3回まわった、という人物。宇佐で、米9俵を担いだこともあるそうです。
「相撲は正垣、ばん持ちは甚五郎」と称されたとか。

その甚五郎。
竹内甚五郎さん。バンモチとは、こないだも書きましたが、神社に置かれちゅう巨石(カタギ石)を持ち上げること。
国分寺のカタギ石は48貫(180kg)あったが、それを十六夜のバンモチ会で担ぎ、16年間連続で担いで堂の周りを回った、という人物。大阪城の普請で大阪へ行った際には、あまりの怪力に、大阪城の石垣の巨石に「土州甚五郎」と彫っちゃある、との言い伝えもあるにかありません。

こんな人物もご紹介してくれちゅう「介良のえらいて」。佳い本です。

と、雨が降りだしたではないか。降らんうちに自転車で出勤できて良かった良かった。走って帰宅して自転車で出勤。片道13〜14kmは、ボッチリの距離です。


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