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旧松山街道、明戸岩、娚岩、純信の妻〔4215〕2014/10/30

旧松山街道、明戸岩、娚岩、純信の妻

2014年10月30日(木)晴れ!

今朝は、松山でお仕事。なので、早朝、会社で一仕事済ませちょいてから松山へ。6時に会社を出発できたので、高速ではなく下道を行ってみることにしました。それも、国道33号線ではなく、旧松山街道ルートで。

こないだうちからハマっちょります。旧松山街道。
伊野の街から仁淀川沿い国道194号線を北上、途中、左折して439号線を池川へ。現在の仁淀川町。池川の集落で右折し、土居川沿いにどんどんと四国山脈を登っていく狭いクネクネ道。これでも国道。494号線。
この494号線が、池川の土居、用居、瓜生野を通って伊予の美川へと抜ける、旧松山街道のルートをなぞっちゅうのであります。美川から岩屋寺の横を抜けて久万へと出るコース。今朝は2時間半で、砥部までやって来ました。旧街道でも、意外と速い。

さて。
こないだ、このルートで松山から帰って来よって、よさこい節でおなじみの純信さんのお墓を発見した、というのを書きました。

お馬さんとの駆け落ち事件の後、土佐から国外追放になり、川之江に住んでおった純信さんは、その後川之江から居なくなり、消息不明のままでした。しかし、様々な偶然と郷土史家の方の努力により、愛媛県美川村で家族を持ち、晩年を静かに過ごした、ということがわかってきて、お墓も美川村にある、という話は、敬愛する郷土史家の岩崎義郎さんが書いた「追跡!純信お馬:駆け落ち百五十年」という本で知っちょりました。
美川というので、伊予の山奥、と漠然とイメージしちょったところ、高知と松山を結ぶメイン街道沿いの、土予国境から3kmちょっとくらいしか離れてない東川という集落やったのであります。

つまり、純信は、そんな場所で生涯を過ごした、となると、その純信の、土佐に対する思いとかが全然違うて見えてきます。そんな話を書きました。

で。その追跡!純信お馬:駆け落ち百五十年」という本を読み返しよりましたら、「娚岩の出身地と純信の妻」というコラムを読み落としちょったことに気付きました。
それを読んで、また、妄想が暴走し始めたのでありますね。

そのコラムによれば、純信の曾孫で美川に住む高橋シズエさんが、父親の岡本孫次さんに聞いた話として「土佐の吾川郡吾北村清水に、孫次さんにとっては祖母になる、純信の妻の墓があるので、一つにして祭ってやりたい」と言っていた、ということ。
ここで、純信の墓を突き止めた史家、矢野安民さんは、そこを探索。その清水の地には、大きな「女夫岩(みょうといわ)」と呼ばれる岩がありました。川之江で純信が身を寄せたのが娚岩(めおといわ)亀吉さん。本名川村亀吉さん。川村という姓は四国山地の高知県側に多い。ということで、娚岩亀吉は、そこの出身で、純信の妻になった人物は亀吉の身寄りの方であったのではないか、と推理した訳です。
で、吾北村の清水界隈を探査したそうですが、結局、何もわからなかった、ということを書いたコラムでした。

さてさて。実は、こないだ通ったときに見つけちょったのですが、この旧松山街道の県境から10kmほど高知県に入ったところに、明戸岩という集落があるのであります。みょうといわ。
今朝、通りがかりにカーナビの画面と一緒に撮影したのが、この写真。

色んな偶然が積み重なりました。そのついでに妄想を暴走させてみますと、その、娚岩亀吉さんの故郷は、ひょっとしたらここではなかったのか。そして、その係累の女性が純信さんの妻になり、亀吉さんの実家から14kmほどの、美川村、東川に住むことになったのではないか。
そうすると、こないだから想像した純信の気持ちは間違いで、娚岩亀吉との縁が縁を呼んで、美川に住んで生涯を終えた、ということになってきます。

ああ。朝っぱらから・・・
今度、この明戸岩、探索する必要がでてきました。よさこい節の物語に新事実発見か?


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