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ああ、葉牡丹、堺町〔4210〕2014/10/25

ああ、葉牡丹、堺町

2014年10月25日(土)薄曇り

ここは、高知県人の心のふるさと、葉牡丹。朝から飲める居酒屋として、戦後の高知に存在感を示し続けてきた葉牡丹。今は、ひろめ市場ができて、昼間っから飲むと言えばひろめ市場、みたいになっちょりますが、やはり元祖はここ。
で、今日は、弊社に生乳を出荷して下さりよります酪農家さんの組合の役員会。午後1時から葉牡丹で。なんという素晴らしいセッティングでしょうか。ああ。高知で牛乳屋さんをやりよって良かった良かった。今日は土曜日ということもあって、昼下がりの葉牡丹は満員。まあ、平日でも昼間っから賑わいゆうのではありますが。

ここは堺町。この西が堀詰で、戦前、高知の繁華街の中心として賑わいを見せた界隈。当時の地図や写真を見ると、実に賑わいよったことがよくわかります。

この葉牡丹のある界隈には野村組本社。いや、野村組本社は、戦後も県交のバスの待合所がありましたので覚えちょりますが、この東側やったと思います。と、なりますと、戦前の地図で「大朝販売部」と書かれちゅう場所でしょうか。大阪朝日新聞の販売所なのかな?
野村組本社の東、当時、電車道が少し折れ曲がっちょったところに「大山館」。

電車通りの北側には野村デパートのビルが建ち、その北側が堀川のどんづまりで少し広い池になっちょった場所。かき船が浮かび、北岸に、高知で最初のエレベーターがあったという中央食堂。
今の新京橋商店街の東には堀が流れ、その東、今の大丸のところに世界館。
中央食堂から西へ、今の、キティちゃんのカラオケがある界隈が鳳館。その、電車通りを挟んだ南側には芝居小屋の堀詰座。なんという賑わい。間違いなく、この界隈が高知のお街の中心であった時代。

ちなみにその頃の帯屋町には病院や教会などなど。ダイエー跡地のところにはもちろん町田病院(これは小生が小学生の頃も町田病院でした)でした。

戦後になり、焼野原になった市街地の復興で、電車通りが広くまっすぐになりました。
それでどうなったかと申しますれば、繁華街は電車通りの北側に集中されるようになった、ということ。広い道路で分断されてしもうた訳ですね。
北側にはリベラル劇場などの映画館や娯楽施設が並び、その賑わいは、東の種崎町にもつながって高知の一大歓楽街を形成したのでありますね。

その後、大橋通りの公設市場が市民の台所となり、帯屋町が中心商店街として栄えるようになっていった時代を迎えます。
堺町の電車通り沿いは、証券会社や銀行などのビルが建ち、ビジネス街となりました。その南側に「土佐トルコ」ができたのは、小生が小学生の頃。一番最初が「土佐トルコ」で、その次が「トルコ南国」やったと記憶します。家(南与力町)から見えよりましたき。
娯楽の殿堂「高南劇場」ができちょったこともあって、堺町の南側、いわゆる掛川町は、そんな町に変貌して今に至っちょります。

話は戻って葉牡丹。
行ったことがある方は、あの、大将をご存知と思います。あのおんちゃん。いや、高校のクラブの大先輩なので、おんちゃんなどと呼んだらオオゴト。慶応大学出身で、アメリカ生活も長く、英語ペラペラと説明すると、みなさん、ビックリしてくださいます。
葉牡丹よ、今日もありがとう!


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