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向島、三囲神社、江戸時代のランドマークと現代のランドマーク〔4209〕2014/10/24

向島、三囲神社、江戸時代のランドマークと現代のランドマーク

2014年10月24日(金)快晴でやんす

そんな訳で今朝は東京。業界の寄合がありまして、昨日の飛行機でやって来ました。いつもながら、ホントにヒトが多い東京。人混みを歩くががヘタになってしまい、しょっちゅう速歩きのヒトにぶつかりそうになってしまいます。ああ。高知のなんと素晴らしいことか。

昨夜泊まっちょったのは、珍しいことに錦糸町。なんとなく猥雑な響きが嬉しい「錦糸町」。ホテルからは真正面に東京スカイツリーが見えます。
なので、今朝の早朝RUNは、本所、押上、向島界隈から白鬚橋で隅田川を渡り、西岸を南下して築地まで。朝っぱらから14kmラン。川沿いはランナーも多いので、ついついビュンビュン走ってしまいます。が、心地良うございました。

東京スカイツリーの前、北十間川の風景は、すっかり変わってしまいました。小洒落た街に変貌。
まだ、スカイツリーの工事中何度か定点観測で撮影しましたが、その場所からは、スカイツリーは巨大過ぎて画面におさめることはできんなりました。
そして業平橋。あの平安時代のプレイボーイ、在原業平の塚に由来するという伝説をもつ業平天神社があったことから、北十間川とクロスする横川に架かる橋ろ業平橋と呼び、東武線の駅名になっちょった訳です。
しかし、その駅名は、東京スカイツリー駅になってしまい、業平橋という優雅な駅名は、消えてしまいました。

押上から向島界隈。実に、歴史を感じさせてくれる風情が横溢しております。有名人の居宅跡とか、ゆかりの地などもどっさり。

元々、江戸の街が築かれた際は、隅田川の東岸は、街ではありませんでした。静かな静かな湿地帯やったでしょうか。江戸の街を隅田川の氾濫から守る遊水地帯でもありましたね。
その東岸が劇的に開発されたきっかけは明暦の大火。いわゆる振袖火事ですな。
山内氏が、潮江川に、天神橋しか橋を架けることを認めんかったように、江戸幕府も、隅田川には、上流の千住大橋しか認めちょりませんでした。で、明暦三年(1657年)の、死者が10万人を超えたという明暦の大火が発生。川に橋がなかったので、逃げ場を失うた多くの住民が犠牲になったことから、防災の意味も兼ねて、両国橋を架橋することになりました。

その架橋により、隅田川の東岸は、本所、深川を中心に発展した訳です。
本所から北へ行けば向島。江戸幕府は、向島を、意識的に繁華街に仕立て上げたようです。向島へ遊びに行くひとたちは、隅田川の土手の上を歩いて行きます。たくさんたくさんの人々が、堤の上を歩いて行きます。それにより踏み固められ、破損があればすぐに発見修復され、メンテナンスが行われておった、ということにかありません。
江戸時代の、土木工事と、そのメンテナンスに対する考え方は、実に素晴らしいものがあります。お金を使わず、人々の普段の生活を通じて土木メンテナンスをやっていく仕組み。よく考えられたものであります。

写真は、その、向島へ向かう堤の上。堤の下に鎮座まします「三囲(みめぐり)神社」さんの鳥居の上の部分が見えます。
隅田川の堤の上は、庶民の娯楽の殿堂。花見などに大勢の江戸庶民が訪れ、広い土手の上を散策しよったそうです。その堤上散策のランドマークのひとつが、この三囲神社の大きな鳥居。
土手の下に鎮座するにも関わらず、隅田川の対岸からも、土手の上に突き出した鳥居の貫が見えて、桜並木に囲まれて、それはそれは美しい風情であったと言います。
今のこの鳥居は、幕末、文久二年の建立。龍馬が脱藩した頃ですな。

この神社に参拝するには、吾妻橋を渡るか、船で渡るか。で、この鳥居前の土手下と、対岸の浅草、待乳山下を結ぶ渡しがあり、「竹屋の渡し」と呼ばれて、昭和5年の言問橋開通まで優雅に人々を運んでおったそうです。

この土手の風景は、かつてのそんな堤の名残りを偲ばせてくれます。
実は、向こうの空に、東京スカイツリーが屹立しちゅうがです。画面が明る過ぎて写っちょりませんが。
この、江戸時代のランドマークの向こうに現代のランドマークが見える風景。


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