それぞれの8月15日〔3409〕2012/08/15
2012年8月15日(水)小雨
今日は8月15日。67年前の今日、太平洋戦争が終結しました。ここ、高知空港には、高知海軍航空隊の基地と飛行場があり、約2000名の隊員がおりました。写真は、高知空港の南にある、高知海軍航空隊、鎮魂の碑。先日来、何度か、この航空隊が、神風特攻隊菊水部隊白菊隊として編成され、多くの若者が沖縄に散っていった話を書きました。
そして、機体トラブルや隊の事情等で、鹿屋から一旦この航空隊に帰ってきて、再度の出陣を間近に控えていた隊員も居ましたが、8月15日、終戦となったのであります。「高知海軍航空隊 白菊特別攻撃隊」という本には、そんな特攻隊員に取材した内容が語られちょります。
その日、午後2時頃、掩体壕での機体点検を早めに切り上げて住吉野の宿舎に帰りよったところ、擦れ違うた住民に「兵隊さん、日本は負けたよ」と言われて終戦を知った話。
ご承知の通り、8月14日から15日にかけて、ポツダム宣言受諾を知った軍の若手将校が、終戦を良しとせずにクーデターを起こそうとしました。各地で、どうして良いかわからない軍人たちが、非常に不安定な状況にあったことは間違いありません。
ここ、高知海軍航空隊でも、命令があるまで待機、となっておりました。翌、16日午後7時頃、南方の空が真っ赤になり、地響きを伴う爆発音が連続して聞こえたそうです。
色んな情報が乱れ飛び、「巡洋艦を主体とする敵艦隊が土佐湾に侵入、航空隊を艦砲射撃中、ただちに出撃せよ!」という命令が発せられました。午後10時頃、「敵艦隊の動向は依然として不明である。一応、足摺岬、室戸岬方面の索敵を行う。全員その場に待機せよ。」に命令が変わり、萩原中尉と坂場兵曹の搭乗した索敵機が飛び立ちました。当然ですが、結局、何も発見できず、土佐湾は静かであることが判り、帰還。敵艦隊攻撃は誤認であると判明。
色んな説がありますが、この本では、須崎の高知海軍航空隊海上見張り所の見張り員が、海上の「何か」を敵艦船のマストと誤認、報告し、その情報が大分の第五航空艦隊司令部、大本営と上がっていって、大騒ぎになった、という説を採用しております。そして、どんな経路で命令が下りてきたのか、今となっては闇の中ですが、手結、住吉海岸の「震洋」特攻隊がいち早く反応して出撃準備を始め、燃料タンク漏れから引火、23隻の「震洋」が大爆発を起こして111名の尊い命が失われました。戦争は終わったというのに。
8月15日、16日は、軍隊の中も大混乱で、一触即発の状態であったことは間違いないようです。そんな混乱の中での悲劇。
この飛行場で16日の夜に見えた赤い光と聞こえた爆音は、その大爆発であった訳です。そんな情報も入らないので、敵の攻撃と思うても仕方なかったでしょう。
忘れてはならない昭和20年8月15日。ひまわり太郎の母は、浦戸小学校の生徒で、佐川の斗賀野に疎開中。その日、玉音放送の時間には、下の谷川で泳いでおったそうです。お盆というのに。父は、山口県の宇部高専の学生で、宇部にいました。終戦となり、満員の汽車に乗って、山陽線を東へ、岡山、宇野、連絡船、高松と経由して高知へ戻って来たそうです。途中、原爆直後の広島も通って、その惨状に驚いた、という話を聞いたことがあります。