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雨の鮫洲、立会川、台地、大森貝塚〔3355〕2012/06/22

雨の鮫洲、立会川、台地、大森貝塚

2012年6月22日(金)東京は雨がざんざん

今朝は東京。昨日の午前中の飛行機でやって来ました。業界の寄り合いですね。
で、昨日の高知は雨やったもんですきに、傘をキチンと持参。東京を、傘を持って動き回りました。しかし。
昨日は結局雨が降らず、傘を使うことはありませんでした。そして今朝はなかなかガイな雨。しかし。
昨夜泊まったホテルは大森海岸駅に隣接しちょりまして、電車に乗るがに傘は要りません。そのまま駅から羽田空港で、飛行機でイニますきに、そこでも傘は要りません。結局使うことのなかった傘。東京を連れ回ってきたのでありました。そんなこと、ありますよね。何とかなるろうと思うて傘を持っていかんかって、結局どうしようもないなってコンビニで購入することになったりとか。いっつも傘運に恵まれないひまわり太郎です。そんなこたあどうでもエイですが。

さて、今朝は、ガイな雨に打たれながら大森海岸から立会川、龍馬ゆかりの浜川砲台跡の海岸をたつくりました。強い雨が皮膚に痛心地良いです。ガイな雨の中を濡れそぼって走りよりますと、変人のように見られたりしますが、実は、結構気持ちエイということを皆さんご存知ない。炎天下走るがに比べたら100倍気持ちエイがですけんど。やってみてください。

京急の立会川の駅前から西の丘を見上げると、このような掲示があります。立会小学校の看板の下。品川区史蹟 山内豊信(容堂)公墓所。ここに土佐藩の屋敷があり、幕末に活躍した山内容堂さんは、この屋敷を愛しました。で、容堂さんの墓所は、他の殿様のように高知の筆山ではなく、ここ、鮫洲の丘の上にあります。

京浜急行の線路沿いに、現在、国道が走っちょりますが、京急の線路より海寄りが旧東海道。東海道は、かなり海岸の近くを通るルートやった訳です。京急の線路の西側は坂。その上が西から海へせり出して来た台地の先っぽで、台地の上に農地とかがつくられ、人々が生活してきたと推察されます。
走りまわりよったら、それが実感できます。

明治になって、横浜へ汽車を通すことになった際、海岸沿いの東海道近くではなく、台地の上に線路を通したのは、そこの土地があいちょったこともありましょうが、冠水とかを避けたがかも知れません。おかげで、その、台地の先っぽを走る東海道線の汽車から、エドワード・モースさんが大森貝塚を発見することができた訳です。
そう、貝塚は台地の上。人々は、台地の先っぽで生活しよったことがわかります。

この北から、仙台坂、別名くらやみ坂を台地の上へ上がり、東海道線の近くを走りよりましたら、「大井の水神」というお宮さんに行き当たり、お参りしてきました。案内板によりますれば、台地の末端から湧きだしちょった地下水を、飲み水や農業用水に利用しよりまして、豊かな水の供給を願って九頭竜権現をお祀りしたがが始まりやそうです。貞享2年(1685年)のこと。

海岸近くは、水に塩が混じってしまうので、真水の湧く井戸や池が必要。それが台地の上にあり、大森貝塚をつくった人々も、その湧き水を利用しよったことは想像に難くありません。

古くからの地形と、そこに通された道路、鉄道、用水。自分の足でそれを体感すると、そこに、そのインフラがあった理由が体感できます。ホントです。


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