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「矜持」という言葉が似合う人物〔3026〕2011/07/29

「矜持」という言葉が似合う人物

2011年7月29日(金)晴れでんがな

ここは大阪北浜、大阪商工会議所ビル前。右手が大阪商工会議所 で、その前に銅像が立っちゅうがが見えますでしょうか。以前にもご紹介したことのある、薩摩出身の五代友厚像。明治期、大阪商業発展に尽くし、大阪の恩人 とされる人物。なかなかさどい人物で、政商とも呼ばれました。
幕末から明治にかけて、それこそ様々な人物が世に出てきて様々な行動をしました。政 商として臨機応変の活動をした五代友厚、政商と言うには個性の強すぎる岩崎弥太郎さん、政治の主流派から離れ、自由民権運動に走った板垣退助、弁舌のうま さと処世で明治を渡り歩いた後藤象二郎などなど。
そんな中、土佐の輩出した谷干城さんは、異彩を放っちょります。すごいです。
龍馬暗殺の 際、真っ先に現場に駆けつけたことで有名な谷干城さんは、元々強攻な武力倒幕論者。戊辰戦争では板垣退助と一緒に戦うて武名を上げ、明治初頭は、不平氏族 対策もあって対外的に強攻論を唱えました。西南戦争時、熊本鎮台の司令長官として薩摩の猛攻を守り抜き、英雄になりました。
ここまで書くと、かなり対外硬派の武力信奉論者に見えます。しかしすごいのは、谷さん、見聞を広げるに連れ、政治主流派とは一線を画し、本当の人民の為、ということを考えていくようになるがです。変節ではありません。
若い頃は、将来国家像や対外関係に対しての見通しを誤ってみていたこともありました。しかし彼は、見聞を広げ、本当に大切なことを誰よりも真剣に考えるようになるがです。
日 清戦争に勝って浮かれる政府に、講和条件に過度の要求をしてはならん、必ず国際社会の不興を招き、日本にとって良いことにはならん、と貴族院で力説しまし たが、取り合ってもらえませんでした。日露戦争での出兵も、平穏なアジア構築にはマイナスであると唱え、大反対。戦勝後、どんどんと大陸権益を拡大してい こうとする政府に、そんなことをしていくと国際社会で孤立し、近隣の国々に嫌われ、日本にとって良くない結果になる、と言い続けました。
武名を馳 せた老将の言葉ですが、若い将校に、「考え方が古い」「国際社会がわかっていない」などと蔑まれます。しかし。彼は、どんなに周囲の空気がそちらへ走ろう とも、自分が考える一番大切なことをいつも真剣に考え、曲げようとはしませんでした。誰が正しかったかは歴史が証明する通り。
彼は、当初国粋主義 者として活動し、対外強硬論と武力の充実を唱えましたが、途中から、本当に国民にとって何が良いのか、誰よりも真剣に真摯に、周囲の空気に影響されずに考 えるようになっていった人物。「矜持」という言葉が、これほど似合う人物は居らんのではないでしょうか。そして、「いごっそう」という言葉を、最近は高知 出身の有名人には誰にでも使うて喜ぶ風潮にありますが、谷干城さんほど、その言葉が似合う人物も居ません。
マスコミが煽り、空気が同じ方向に流れ、誰もが同じことを容認し、すすめていこうとするとき。立ち止まって、本当のこと、本当に大切なことを自分の頭で考え、実行していこうとする人物。今の世に、待望されるのは、龍馬ではなくて谷干城さんながかも知れません。


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