渡川合戦、四万十合戦〔2670〕2010/08/07
2010年8月7日(土)ちくと雲がありますが晴れちょります
今日は仕事で中村へ来ちょります。今の四万十市ですね。どいたち、中村という地名やないとしっくりこんがは仕方ないですな。
写真は、香山寺と呼ばれる山の上から撮影した四万十市。右端に見える市街地が、市役所もある、街の中心部。戦国時代、公家大名として土佐西部一帯を支配しちょった一条氏の本拠地も、あの界隈にありまして、市街地の町並は京になぞらえて碁盤の目で形成され、土佐の小京都とも呼ばれよりました。
眼下は、近年大型店舗がどんどんと進出してきて急激に街になってしもうた具同。ひまわり乳業の本社の東側、野市と、出店しちゅう店もおんなじで区別がつきません。どこへ行っても同じような街になってしもうちょりますな。
右端の白い四角い建物が、つい最近オープンした香川本社のスーパーさん。でかいです。中央ちょっと左の白い建物が、迎え撃つ、以前からある愛媛本社のショッピングセンターさん。右端の街中でも、同じ構図で対峙する店舗があり、そこに地元本社のスーパーも参加して乱戦。写真をもうちょっと左へ行くと須崎本社のスーパーさんが頑張っちょりますし、右へ、街中を抜けた古津賀には高知本社の大きいスーパーさん。ものすごいことになってきた中村地区でございます。
右手を流れる川はご存じ四万十川。地元では渡川とも呼びます。戦国末期、土佐西部の支配者であった一条兼定さんは、長宗我部元親軍に攻められて、九州豊後に追放されました。再起を期し、1575年、旧臣を集めてここまで再び攻め込んできて、長宗我部軍と決戦をおこないました。あの四万十川を挟んで対峙したので渡川合戦と呼ばれます。一条軍が本陣としたがは中央左の小山にあった栗本城。結局、長宗我部軍の勝利で、一条氏が再び中村を支配することはありませんでした。
今、この中村で繰り広げられゆう生き残りを懸けたスーパーさんの戦いは、まさに戦国末期。四万十合戦でございます。山の上から眺めると、どうやって攻めて守ろうとしゆうがか、なんとなく解ってきますね。
地元の乳業メーカーとしましては、とにかく、地元の皆さんに喜んでいただける商品を、まじめに、キチンとつくり続けていくことが使命やと思うちょります。