堀川、北光社出航、北海道開拓〔1281〕2006/10/18
2006年10月18日(水)高知はぬくいですな、快晴!
高知へモンちょります。昨日、紋別空港から羽田経由で高知へモンて来ました。紋別空港は、羽田行きと新千歳行きの飛行機が1便づつ、一日に2便だけ飛び立つという空港でした。
けんどまあ、同じ日本でも気候が違うもんです。興部(おこっぺ)では、来週くらいから雪が降るでしょう、などとお話をしよったががウソの様に、高知は日中Tシャツ短パンでOKです。
その暖かい高知から、明治時代、北海道の開拓に出掛け、命がけで苦労されたヒトたちが居ました。北光社(ほっこうしゃ)の皆さんです。
坂本龍馬の甥の坂本直寛さんや沢本楠弥さん、後の道議会議長で北海道の「農業の父」とも言われた前田駒次さんを中心に組織された「北光社」。結成は明治28年で、第一次移民団が高知を出発したのが明治30年やそうです。出発したのが、ここ高知市の堀川の岸壁。この写真のど真ん中あたり、川の左岸に、「北光社移民団出航の地」の記念オブジェがございます。その対岸正面に「高瀬屋」という旅館があったそうで、そこに開拓移民団の募集事務所がありました。
ここを出航した移民船は、関門海峡から日本海へ出て北上、小樽を経由し、最北の宗谷岬をまわって南下、ひまわり太郎が昨日居たあたりの沖を南下して網走に到達したのでありました。28日間の航海。
そして、内陸へ入りクンネップ原野を想像を絶する苦労を重ねながら切り拓いたのでありました。現在の北見市の原型が生まれた瞬間です。
昨日、お世話になったノースプレーンファームの奥様は、興部と紋別の間で生まれ育ったそうですが、北見が北光社ゆかりの町で、高知県移民がようけ居ることをよくご存知でした。
気候はこれほど違いましても、深いつながりがあることを実感します。