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弥生の昔の土佐と海外〔4989〕2016/12/12

弥生の昔の土佐と海外

2016年12月12日(月)薄曇り

夜明け前、空を見上げると満天の星。でしたが、夜明けとともに、薄い雲が空を覆い始めました。今日は薄曇りの高知県地方。
今朝の高知新聞。

土佐の考古学最前線「日本列島展」に寄せて(1)
この見出しの記事が、掲載されちょりました。(1)とあるので、連載が今日から始まった訳だ。こういう企画をやる高知新聞、好きです。
この連載を書いているのは、出原恵三さん。元高知県埋蔵文化財センターの職員さん。色んな発掘に関わり、研究を行ってきた、高知県の考古学業界では知らない人のない、そんな人物。

僕が初めて出原さんに会ったのは、たぶん、向山戦争遺跡発掘調査の現地説明会だ。自己紹介して、色々と教えてもらったことを思い出します。それから色んな発掘現場説明会でお会いしてきましたが、そうか、もう退職されていたのか。

今回、岡豊の県立歴史民族資料館で開催中の「発掘された日本列島2016」に合わせての連載企画となりました。この企画展、開催初日の11月12日に早速走っていって、観てきました。良い企画です。常設展示の大部分を取り払っての展示、という大胆な企画。
今年の、全国の貴重な発掘成果とともに、
特集1 復興のための文化力ー東日本大震災の復興と埋蔵文化財の保護ー
特集2 復興の歴史を掘る
という特集も組まれている。これが、なかなか見応え、あります。今月18日、今週末までですきんね。まだ行ってない方は、ぜひ。

で、高知新聞。
連載1回目は、南国市の田村遺跡の話。田村遺跡のすごさは、出原さんから直接うかがったことも、あります。縄文時代から弥生時代に移行してすぐ。日本でも最大級の集落が、現在の高知空港滑走路北西端界隈に出現する。
そして、そこを母集団として、各地へと人々や文化が伝播してゆく。それまで、土佐の中原は、ずっとずっと遅れた土地であったと思われていたのが、一気に古代研究のメインストリームに躍り出たのは、1983年の、空港滑走路拡張に伴う大規模発掘調査の際。

弥生初期から晩期まで、非常に長い期間、大きな集落が存在し続けた。たぶん、幾多の洪水や津波を乗り越えて。それだけ、当時の技術による灌漑農法に適した土地であったのか。
発掘された竪穴式住居の数では、日本一という話もあります。

で、朝鮮半島の影響が大きい、初期集落。突然、田村に集落ができたのは、朝鮮半島の影響が非常に大きかったからなのか。北九州から畿内にかけて、弥生の集落や文化が広がっていく時代、海と山に隔絶されたかに見える土佐の太平洋岸に一大勢力が、あった。すごい。

と、そんな記事を読んでましたら、右下に共同通信配信の「文学を食べる」というコラム。夏目漱石と、アイスクリームの話。これもなかなか、面白い。
記録に残る、一番初めにアイスクリームを食べた日本人は、万延元年の遣米使節団のメンバーで、米国政府の歓迎レセプションであった、という話。
この記事にはないが、バターを最初に食べた日本人はジョン万次郎であった、てな話があったようななかったような。そんなことを日記に書いちょったような気が、します。万次郎、アメリカではアイスクリーム、食べたでしょうか。残念ながら、記録には、残っちょりません。

土佐は、弥生の昔から、意外と海外に近かったのでありました。


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