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だらけていた猫は早起き〔4909〕2016/09/23

だらけていた猫は早起き

2016年9月23日(金)薄曇り

今日は一日曇りの天気予報。すっきりくっきり晴れる、という訳にはまいらんですな。まだ9月。残暑厳しくあってもらいたいもんです。

写真は、今朝、4時過ぎの潮江天満宮。手水舎の手前、鳥居のところから楼門方面を撮影しました。いや、撮影したかったのは、猫だ。
こないだ、カープが優勝を決めた翌日、本殿前でだらけきっていた、猫。その後、手水舎の前で顔を洗う風景も、見ました。そして、今朝。

丁度4時頃、参拝のためにここを通りかかった際には、居ませんでした。で、帰りがけに通ると、鳥居の真下に座っているではないか。いつものように、横を通ろうが、こうやってカメラを向けようがビクともしない。根性、座っちょります。
それにしても早起きなんだね。朝早くから活動?しているので、昼間は眠くなる訳か。「活動?」と書いたのは、そんなに動いているようには見えないので。ともあれ、なんとも羨ましい生活に見える猫でございます。

この、右端に脚だけ写っちゅう鳥居。
これは、大正3年1月に、得月楼の楼主、松岡寅八さんによって寄進されたもの。山内家出入りの鮎商人であった松岡家。明治になり、その才覚で一流料亭を築き上げ、西日本に名を轟かせた得月楼を築き上げた松岡寅八さん。大正3年と言いますと、大成功を収めちゅう時期になります。

手水舎の左に見える、四角い枠。簡易鳥居みたいなの。あれは、伊野の紙商に生まれ、土佐紙(株)の社長となり、合併して日本紙業(株)の副社長をつとめた中内久太郎さんが、昭和2年11月にご寄進したもの。市内南与力町に住み、日本紙業の副社長出会った頃。

その向こうには立派な楼門。
潮江天満宮は、先の戦争で、焼けています。その戦災で唯一焼け残ったのが、あの楼門。嘉永6年(1853年)に建てられた立派な楼門。上部には、幕末に活躍した島村三四郎さんの作による鳳凰が掲げられ、こちらを睥睨しております。

その手前に、橋の欄干が見えます。潮江用水に架かる、短い橋。
あの用水は、いつ頃からあるのだろうか。
明治になって以降の、神田川付け替えによる取水口の変更、サイホンの利用などについては、以前にも書きました。今も、潮江地区の広大な田畑を潤す潮江用水。これがなければ、潮江の農地の発展はなかった。そんな用水。
その用水ができたのは、いつなのか。

幕末の、慶応初年廓中高知街図というのを見ると、キチンと描かれております。しかも、現在のものとほとんど変わらない。現在の用水は、幕末には、今と同じように流れていたのか。
江戸時代の絵図を見てみても、そっから昔ので、キチンと描かれちゅうのは見当たらない。潮江川(鏡川)の南側を描いちゅう絵図が、そもそも少ない。

どちらにしましても、あの、欄干の下の用水は、あの楼門が建てられた頃には、もう、このようにここを流れていたでしょう。
建築翌年の安政南海地震にもビクともしなかった楼門と、潮江の田畑を潤す用水。今も昔も変わり無い風景を、猫が見守っていました。


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