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今日のにっこりひまわり 毎日健康社員日記

震災復興と道路開削〔4635〕2015/12/24

震災復興と道路開削

2015年12月24日(木)快晴!

昨日の雨はすっかり上がって良いお天気。相変わらず気温は高い。コートを着る必要もない、快晴の朝。昨日の雨で濡れた風景が、お日様でキラキラ輝いて美しゅうございます。

今日はクリスマスイブ。
元々、北半球である西洋で、日が長くなり始める日、つまり生命の復活を感じさせる日である冬至の行事が、キリスト教の行事に習合して始まった、という説もあるクリスマス。今はそんなことは忘れ去られ、宗教的な意味合いも薄れ、とにかく美しく楽しむ日、みたいになっちょります。

そんなイブの朝、久々に潮江天満宮さんにお参りしてきました。お正月の準備が進む潮江天満宮さん。社務所の脇には、巨大なしめ縄が置かれ、あとは拝殿に取り付けられるのを待つばかり。高知県で一番初詣客の多いお宮さんですきんね。準備も大変だ。

今朝は、ある事を確認してきました。潮江天満宮さんで。

こないだもご紹介した、潮江在住の野崎貞美さんという方が書きとめた、昭和南海地震からの日記。貴重な震災日記なんですが、その中に出てくる記事が気になっちょったので。

震災直後から、潮江の農家の人々は、総出で、決壊した堤防の補修などの作業に出ております。12月21日が震災。それから、毎日、土嚢を運んだり積んだり、といった作業を、狂った干満の中で必死にこなしてゆきます。この日記には、土嚢を土俵と表現しちょります。

震災から明けて正月。
元旦は、被害の状況や堤防を見回っています。夕方から近所の、奥さんの実家へ行ってお酒を飲みました。正月二日は、午前中工事、午後から、市役所からの震災復旧工事慰労のお神酒で、高見の農家一同集まって、飲む、とあります。高知市も粋な計らい。正月三日は、一日復旧工事。そして。

1月4日 晴
工事一日。天満宮裏で土俵作り。

天満宮の裏で、土嚢を作る作業に勤しんでおります。土嚢をつくるような土を、どこから採取しておったのか。気になっていたのは、そこ。

筆山北側で、土取り場と言えば、しゅっと思うのが潮江中学校の南側。あの、筆山がエグれた部分。しかしそこでは、天満宮の裏、とは言えない。昭和21年当時も、天満宮の本殿や拝殿は現在の位置にあったことは間違いないので。

では、天満宮の裏、とは。
現在の天満宮の本殿裏には、独立した小山があって、そのてっぺんに巨岩の磐座(いわくら)と大山祇神社さん。その小山と筆山の間には、天神町と河ノ瀬、土佐道路を結ぶ大きな道路。写真は、小山の南西からその部分を撮影したもの。左手の石垣の上が大山祇神社さんの小山。右端に、道路を走る白い自動車で、その向こうが筆山。
その間に打ち捨てられた祠と空き地。

戦前の地図を見ると、実は、筆山と大山祇神社の小山はつながっちゅうにかありません。つまり、筆山から北へ突き出した尾根のトン先に、磐座と大山祇神社、という感じでしょうか。
いつしか、その、小山と筆山の間を切り開いて道路を通すようになった。時代とともに道路は拡幅され、この写真のような風景になった、という歴史があったと思われます。

と、言うことは。
野崎貞美さん達が土嚢を作る作業をしたのは、この、小山と筆山の間の部分であったのではないか。そこの土を利用することには、土嚢をつくる、ということと道を拓く、ということの二つの意味合いがあったのかも知れない。
もちろん、大震災直後のこと、そんなことを悠長に考えゆう暇はなかったでしょう。しかし、結果的に一石二鳥となったのではないか。そんなことを考えると、天満宮裏の土嚢作りは、まさしくこの写真の場所で行われたのかも知れない、と思えてきてなりません。

ああ。イブというのに神社の裏手で妄想を暴走させるのはいかがなものか。


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